Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2016(回想)

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2016
Otechi ride to Minami_Oguni Kumamoto Japan
Go Go West! “CHANOKO”

一般的に、”父息子、親子による自転車の旅”と言えば、世間的には美談っぽく受け取れると思いますが、我が家のソレは、その実そんなにキレイな話では無いのです。渋る子供をナダメてスカし、そして最後は半ば恫喝するようにして、無理矢理ひっぱり出して連れて行くのが通例となっている、それは”可哀想な物語り”なのです。

息子の名前は”てつたろう”と言います(以後は、私がつけたあだ名の”オテチ”と呼びます。”オテチ”は、今回のツアーをした2016年8月の時点で12歳と4ヶ月の小学6年生です。行く先々で出会うオトナの方々はオヤジに気を使ってか、”オテチ君”はたまた”オテチちゃん”とかと呼んでいただくのですが、本来なら”テチ”と言う所を丁寧に”オ(御)”をつけているので敬称は不要なのでした。
“オテチ”と”ツヨシ(私)”が一緒に自転車旅行をするのは、今回が2回目です。昨年(2015年)は、大阪から東京まで5日間かけて走りました。ルートは、淀川を遡上しびわ湖をかすめ、中仙道から木曽路へ入り、野辺山、そして秩父を経由して、東京に至る約640kmの道程でした。ルートがルートだけに、獲得標高もそれなりにあって、暑い最中<、ペースも思う様には上がらず、毎日早朝から夜にかけてヘトヘトになるまで走った思い出があります。

MEMO
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前回の情報は以下に、それ以前は最後にまとめました。

2015年度版リポート

Rapha stories
英語版
http://pages.rapha.cc/stories/biwakoguma-osaka-to-tokyo
日本語版
http://pages.rapha.cc/ja/stories-ja/biwakoguma-osaka-to-tokyo

tsuyoblog
Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015 全13話
第一話
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話
第七話
第八話
第九話
第十話
第十一話
第十二話
第十三話

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それは、オテチにとってさぞかしツライ出来事だったに違いありません。そして、たぶんこの事がトラウマになったと思います。この”初の父子ライド”は、なんとか成し遂げる事が出来ましたが、それ以後、自転車の事を持ち出すと、オテチの心は不安定になり、父と子の関係はギクシャクしておりました。反抗期と言うほどでもありませんが、父親を完全に避けていたと思います。「オトーサン嫌い」と言う言葉を何回と無く聞きました。しかし、そこは親子ですから、オテチもツヨシの”一度言い出したら聞かない”と言う性格の事はよく分かっていましたし、我が家にとって、自転車による”サマーツアー”は、もはや稼業とも言えるものになっているのでした。それから時が経ち、春が過ぎて、夏に近づき、いよいよその時が迫る頃になると、オテチは、どうしても抗えない自身の不幸な運命の境遇に身悶えして、時には落涙するのでした。
そんなでも、たまに一緒に入浴した折などには、ツヨシは恫喝を交えて同道する決断を迫って来ます。そして、夏休みに入り、梅雨が完全に明ける頃には「今年は、大阪から熊本まで行くでー、覚悟しろよ」とリアルに迫られていたのです。そして、そのプレッシャーに屈する形で「1日100kmくらいなら、なんとか、走れるかも」と、とうとうオテチは言質を取られてしまうのでした。さらに畳み掛ける様に「そやなー、大体100km+-30kmかも知れないけど、去年よりはマシと違うか、知らんけど。悪い様にはしないから、オマエはガタガタ言わんでも黙ってついて来たらエエんやー」と押し切られてしまいました。そんな調子だから、オテチは練習どころか、この1年近く件の”オテチBike”には、触れる事すらせず、”オテチBike”は去年東京まで行ってそこで降りた状態のままに放置している始末なのでした。さらに悪い事に今年のツヨシは珍しく忙しかったので、自転車の放置はさらに続いていました。「さあ大変な事になった。」結局、出立の数日前に”オテチはとうとう一年ぶりにMyBikeにまたがった”と言う有様なのでした。「マジかいな」を地で行く話しだし、当然の事ながらポジションは合いません。なぜなら、オテチは、去年旅をしてからこの1年で12cmも身長が伸びていたのです。出発直前の測定では162cmありました。小学6年生としては大きいと思います。

「一年で12cm伸びよった」

“12cm”、単純に考えると5、6cmサドルを上げたら良い事になりますが、自転車はそんなに単純なものでもありません、小さいフレームにとっての5cmは長大なのです。今更フレームをどうこう出来るタイミングでもないので、部品での調整を試みました。ハンドルを有り合せのステムで20mmほど前へ出して、かつ、サドルに合わす形で少し高くしました。クランクの長さは、当初からの155mmで変更はしませんでしたが、それはコストと納期の問題が大きいです。サドルは去年使用した子供用のままで良いと判断しました。結果、どうでしょうか、試走の様子を写真で見る限り、人車の収まりは良い様に見受けられましたし、ペダリングも”まあまあ回せている”ようです。ひょっとすると今がベストフィットに近いのかも知れないとさえ思え、内心ホッとしました。オテチのフレームは、身長が150cmから160cmでの使用を想定して設計したのですが、オテチがその正しさを実証するのでしょうか。私達の一連のツアー事は、ツヨシ自身の自転車作りのテストの場でもあるのです。

「たく、、ちょっとは楽しそうにしろよな。」

 

「ちょっと小さいけど、まあ良しとしよう。」

しかし、まったくの1年振りにもかかわらず、一回だけ試走して”練習無しのぶっつけ本番”で遠出をさせるとは、大胆にも程があると思いました。でも、それはツヨシ自身にとっても同じ事でした。この1年、自転車には、ほとんど乗れずにいましたし、月間の平均走行距離などは、100kmにも満たなく、ましてや体力を積上げる様な練習はまったくしていませんでした。体重の増加は、もはや絶望的なレベルに達していました。ただ、週2回程のジョギング活動などで体調の維持には努めていましたから、子供に伴走するのには必要な心肺機能だけは辛うじて保っている状態でした。結局、父子共々準備不足の点では”どっちもどっち”なのでした。さて、そんな事だから出発前夜はさらにバタつきました。この土壇場で、「テールライトがどっか行った!!」だとか「・・・・が壊れてるで!!」「なんで今頃言うねん!!」っと言った具合でケンカです。なにもかもが”無い無い尽くし”だったから、我(々)ながら呆れるしかありませんでした。その他には、「ふたりともジャージが着れて良かった、、セーフ!!」的な話もあって、オテチは縦方向に、ツヨシは横方向に、それぞれ身体のサイズの事で肝を冷やしたのであります。その他の不備は、書き上げると驚くほどの数になるので、割愛します。しかし、「コレくらい大胆でないと達成出来無い様な事をしているのだ」と前向きに考える事で心の平安を保っていたのです。所詮、完全な準備などは無いし、「少し荷物が多いだけで、滋賀の近所を走るのと本質は変わらないのだ」「遠い近所に出かけるのだ」と開き直ったのです。

「なんとか”出発”にこぎつけた」

さて、今回のライドのあらましを説明します。
今年(2016年)は、春に九州で起きた震災などの事で、イロイロ思う所もあり、大阪を起点にして、主に四国を走り”熊本”を目指す事にしました。
昨年は、大阪から東京を走りましたので、今年、大阪から九州へ走って行く事で、東京から九州までの”切れ目の無いグランドツーリング”のロードマップを更新する事が出来るのです。行く先々ではSNSなどで知り合った方々とリアルに会って友達になって行くのが楽しみなのです。旅のゴールは、熊本県南小国町の”茶の子”さんです。理由は後述します。そこからの帰路については、博多に出て新幹線を使う事を予定しています。

「GO GO WEST!!」

過去、数年数回に渡るサマーツアーの試行錯誤と実績から、先ず泊まる所は完全に確保するのが「結局気分が楽」だったので、出発に先立ち、先ずは目的地及び宿を設定しました。そうすると「もしも、トラブルなどでその日の内に到着できなかったら先々どうしよう、、、予定が狂う。」と言うプレッシャーは常にありますが、しかし、今までその事は尽く杞憂に終わっていました。その日、泊まる所さえ確保しておけば、”這う這うの体”でも宿にたどり着く事さえ出来れば、入浴そして睡眠をとってリセットできますから、翌日もそのまま旅を続けられたのです。

全行程の走行距離は、地図データの積上げ単純計算で683kmになりましたが、メーターによる実際の走行距離はもう一割ほど長く、700kmを少し越えました。蛇行とか寄り道などが加わるからです。
獲得した標高の精度は参考程度と思われますが、相対的な比較の材料にはなりますし、当らずも遠からずです。
データから見ると3日目の愛媛県瓶ヶ森林道、そして5日目の九重連山越えがツラかった事が見て取れます。
去年(2015年)の東京行きのデータと比べると、一日の平均の走行距離は短いものの、むしろ登りのボリュームは増しています。印象としては、暑さの事もあり”タフなライド”だと思います。でも、オテチを騙した訳ではありません。体が大きくなって体力がついたのだから、ルートがよりタフになるのは”当然”の事だったのです。単純に”距離云々”と言う話しではなくて、「オテチにとって去年と比べてどうだか」と言う心身の相対的な切り口での比較なのです。では、、、どうだったのでしょうか。
まあ、「すまんな、オテチ、許せよ。」と言っておきます。
さてさて、我々親子はどこでどんな冒険をして来たのでしょうか。

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1日目、8/1(月)
滋賀の家を出て、始発のJR線に乗り輪行で大阪に向かう。
大阪駅で自転車を組み立てて和歌山港を目指す。
和歌山からはフェリーに乗って徳島へ、四国に渡る。
徳島市内に宿泊。

Memo
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走行ルート、大阪-和歌山-徳島
http://yahoo.jp/00Sa9m
距離74.8km、獲得標高194m
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・出発の朝
ライドの旅は、去年と同様に大阪から始めます。早朝5時前に起きて、大津市の自宅の最寄駅からJRの始発列車に乗って大阪駅を目指しました。結局、昨晩は準備に手間どって、2時間程しか寝られませんでした。オテチも興奮したのか4時間程しか寝ていないと思います。

「最寄のJR線の駅から大阪に向かう」

大阪駅までは列車を乗り継いで約1時間かかりますが、夏休み中盤、通勤客とレジャー客が入り乱れて込み合う新快速の車内では着座する事は出来ませんでした。例によってピチピチの自転車ジャージ姿に雪駄履きの我々は、車内で完全に浮いた存在でしたが、まだ汗臭くないので、やがて周囲がその姿に見慣れると車内の雰囲気に溶け込み誰も気に留めなくなりました。車内でオテチに、イロイロと話し掛けましたが、モジモジしているので「どーした、調子が悪いのかー」と聞くと「頼むから、もっと小さい声で話して、、」と言うのです。田舎っぺのオッサンは標準より声が大きいのでした。そして、こう言う事が恥ずかしいのは正しい田舎の子供の姿やな、と思いました。

「大阪駅」

列車を降りると大阪駅の構内で自転車を組み立てて、いよいよ今回の自転車の旅が始まりました。いや、重要な儀式があるのです。自転車のアパレルメーカー”Rapha”の大阪店”CCOSK”の前で写真を撮らなければなりません。昨年は、紆余曲折があり、旅の取材をしていただく縁で大阪の”CCOSK”と東京の”CCTYO”を結ぶ旅をしましたから、旅の起点は”CCOSK”の前でした。そして、今年はその”CCOSK”から博多を旅する事で、東京から博多を切れ目無くライドした地図が完成すると言う目論みです。まあ、オテチにとって起点の話などはどーでも良い事かも知れないですが、そこは”ケジメ”なのです。早朝で留守の”CCOSK”前で写真を撮り、メーターをクリアしてライドがスタートしました。ふたりは大阪の街を南下して行きました。

「この旅の起点 Rapha Osaka」

・TKCに寄り道
今回の旅では、本当に多くの方々のお世話になりましたが、TKC Productionsのモリモトテイスケ氏には、氏のお古のシューズをオテチに頂いていました。お下がりとは言え、Rapha社の高級シューズだったので、ツヨシのシューズの5倍以上の価格は、小学生には過分とも思えましたが、ありがたく頂戴しておきました。実を言うと、このRaphaのシューズは、ツアーに先立ち自分も買う気満々で試着をした事が有りましたが、その余りの甲高な足の形のせいでストラップが全く届かないと言う悔しい思いをしていたのでした。この様なシューズを履ける欧米型細身の足型をGIRO足と言うらしいです。恨めしく思いました。そしてさらに、TKCの商品である”PDWビンドル・ラック”をふたりにそれぞれ提供していただいていました。それは出発に先立って弊社製品の”TKCタコのバイクラック”とバーターしていたのです。

「PDWビンドル・ラック」
「TKCタコのバイクラックを製作」

“PDWビンドル・ラック”についてはTKCのウェブページに詳細の記載があり、販売もされてます。

Memo
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TKC Productions
http://www.tkcproduction.com/
PDWビンドル・ラック販売ページ
http://www.tkcproductions.jp/?pid=102454600
PDWビンドル・ラック取付のレポート
http://www.tkcproduction.com/blog/2016/06/pdw_6.shtml
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“PDWビンドル・ラック”をどう言う物か一言で言うと、サドル下に吊った荷物を下支えする”ラック”で、昔ながらのキャリア程は大仰で重くはなく、どちらかと言うと補助的な器具です。簡単に付け外しする事も出来るので嵩張らず輪行の時などには重宝します。我々は、取り付け向きを前後180度変える方法で輪行に対応しました。このラック方式は、容量の増減に対してフレキシブルに対応できます。ただし、荷物が大き過ぎたり重すぎたりしてオーバーロード気味になるとハンドリングに影響が大きく出る様なので注意が必要でした。それは、キャリアと共通の物理的悩みですが、剛性の問題でしょうか、その度合いが大きく、その点では固定式キャリアに分があると思われます。別途追加のストラップ等を用意して荷物の固定を強化するとハンドリング特性の悪化はかなり緩和出来ます。まあ、ラックにせよキャリアにせよ過積載は禁物と言う事です。しかし、ラックは手軽さと軽快さが良いのです。ハンドリングの影響を少なくする為に、ハンドルバッグ等で荷物を分散し前後の重量バランスをとったらどうかと思っています。
ともあれ、暑い最中リュックを背負って背中が蒸される事を思えば、今回”PDWビンドル・ラック”のおかげで随分と身体は楽をさせてもらったと思いますし、テイスケ氏のアドバイスに従い防水バッグを使用していましたので、道中何度か大雨にも降られましたが、荷物の中身は濡れませんでした。今回の旅の範疇では目立ったトラブルも無く上々の結果だと言えます。
そのTKCの事務所が、大阪市内にあるので、南下の途中表敬訪問の為に立ち寄りました。早朝なので留守を予想していましたが、以外にもテイスケ氏は事務所でPCに向かっていました。彼のSNSでの一連のビール投稿などから、勝手に”彼は夜型人間”と決め付けていましたが、本当は朝型なのでした。失礼をいたしました。テイスケ氏と自分は、同世代なので、朝型である理由はなんとなく分かる気はしますけどね。テイスケ氏は我々を激励し送り出してくれました。ありがとうございました。行って来ます

「TKC Productionsにて」

大阪市内から和歌山へは、旧国道26号線を南下して行きます。右手は大阪湾で海が近い筈ですが、それは見えず、山影も遠いです。特に特徴の無い郊外の道が延々と続き、楽しい要素はありません。消化試合的な雰囲気です。正直、あまりサイクリングには向かないルートだと思えました。初日、折からの運動不足と暑さに加え信号の洗礼を受けて、ペースは全く上がりません。遅々として進まないのであります。8時過ぎにTKCを出てから30kmを走るのに2時間近く掛かりました。そして、10時過ぎにようやく岸和田までやって来て、寄り道をしました。

「岸和田の日泉ケーブル」

・日泉ケーブルでゴチになった
岸和田に”日泉ケーブル株式会社”と言う工場があります。
ある日、ひょんな事で社長の佐土谷氏と知り合いになり、今回のツアーの通り道だという事で、表敬訪問をしました。日泉ケーブルは、自転車のケーブル製造専業メーカーと言う事です。この様なニッチな業種の製造の現場が、今の日本に残っている事に正直驚きましたし、リスペクトもしていましたので、「ぜひ製造の現場を見学させて下さい」と頼んだのでした。そして、今回のライドのスポンサーでもあるのでした。製品であるケーブルガイドを提供して頂いていました。

「バイクに合わせて緑のケーブルガイド」
「工場見学」
「ケーブルの破断試験」

工場では、佐土谷さんがご一家で出迎えてくれ、工場内を隈なく案内して頂き、そして昼食をご馳走になりました。こう言う時、オテチは迷わず”ウナギ”なのでした。

「ウナギ好きのオテチ」

大阪から岸和田までおよそ30km、岸和田から和歌山港までの残りは、あと40kmほどです。和歌山港を16時過ぎに出航するフェリーに乗る予定ですので、お昼過ぎ頃に岸和田を発てば、まあゆっくりと間に合う算段です。激励され、そして岸和田を後にしました。ありがとうございました。行って来ます

「ありがとうございました」

Memo
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日泉ケーブル株式会社
https://www.nissen-cable.jp/
材質やカラーに拘って、スチールなどの旧車等によくマッチする製品もお作りになっています。
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さて、あまりにも久しぶりのライドと猛暑のせいで”残りの40km”が、”なかなか進まない”のであります。まあ、この事は、ある程度予想していた事とは言え、”少し走ってはコンビニ休憩”を何度と無く繰り返しました。

「暑い」
「暑い厚い」

大阪府と和歌山県の県境の”孝子峠”と言う、標高が、わずか100m程しか無い”丘の様な”本日唯一の峠にも身悶えし、文字通り”這う這うの体”で和歌山にたどり着いたのでした。

「南海電車」
「孝子峠」

和歌山港に着いた時には、もう15時をとうにまわっていたので、パンクなどのトラブルでもあれば、遅刻したかもしれません。少しヤバかったのです。

「紀ノ川」

ともあれ、ココまで来れば、もう安心です。後は船旅で徳島港にダイレクトに上陸して、今日は、徳島市内で寝るだけなのです。乗船切符を買いました。自転車は、バラして輪行の状態にすれば、手荷物料金は掛からないと言う情報は承知していましたが、徳島港で再度組み立てるのが億劫だったので、その点はお金で解決してしまいました。徳島港までは、およそ2時間の船旅です。

「和歌山港フェリー乗り場」
「フェリー内では車両の扱い」
「紀伊水道クルーズ」

Memo
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和歌山と徳島を結ぶ南海四国ライン
http://www.nankai-ferry.co.jp/
旅客運賃 大人2,000円 小学生1,000円
その他、特殊手荷物運賃として、
自転車は、一台700円が二台分で1,400円
南海フェリー7便 和歌山港発16:25 徳島港着18:30
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・徳島ナイト
徳島県に上陸した我々は、徳島市の中心を目指すのですが、自転車乗りとして徳島まで来て素通り出来ないスポットがあるので、ちょっと寄り道しました。”シオカゼストア”と言う自転車ショップです。スポーツサイクルのショップと言えば、ロードバイク一辺倒なショップが多いですが、ここは、田舎(失礼!!)では珍しく、シングルギアとかオフ系のアメリカンブランドも多く扱っている”カルチャー系(?)”の、”ただ今急成長中の注目ショップ”です。当時の時点で、ショップのスタッフは若いふたりの”ユウキ”でした。スタッフの方のユウキは、”ゴリ”と言うハンドルネームで、それぞれ役割分担をして活動しているようでした。

「徳島、四国に上陸」
「徳島市」
「シオスト」
「ノス、オテチ、店長、ゴリ」
「ノス、オテチ、店長、ゴリ」

Memo
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シオカゼストア
http://shiokazestore.jugem.jp/
https://www.facebook.com/ShiokazeStore-148535828625135/
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市街を走り、宿へ向かいました。徳島と言えば”阿波踊り”ですが、お盆に向けて練習をしているのか、あちらこちらで”ドンチャドンチャ”やってました。徳島での宿泊は、駅前の古い観光ホテルの和室で、お世辞にもキレイではありませんでした。素泊まりで、ふたり一室で8,000円ちょっとでした。探せば他にもっと安い宿もありますが、新しい目のホテルだと自転車の館内持込を拒否される事もありますから、こう言う古いローカルな所を狙っています。聞く所によると。徳島市内では、阿波踊り期間中の特需対応の為にホテルが供給過多で、それ以外の期間では慢性的に部屋余り状態だという事で市内全体がガラガラのイメージでした。
洗濯を兼ねて食事をしに外へ出ました。コインランドリーで、居合わせたオバサンに美味しい店を訪ねましたが、「この辺は歩いて行ける範囲には何も無い」と一蹴されてしまいました。さらに、「徳島ラーメンはどうですか」と食い下がったのですが、「あんなものどこが美味しいのかねー、ただのラーメンやで」と取り付く島も無い感じで、徳島市の印象を決定付けてしまったのです。まあ、その後洗濯待ちの間に入った、向いの居酒屋の”モモ焼き”は美味かったので、差し引きトントンって感じです。洗濯終了後、宿に帰っておとなしく寝ました。

「本日のお宿」
「徳島は鶏が名物?」
「洗濯は毎日する」

 

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2日目、8/2(火)
徳島市から吉野川沿いに西へ。
吉野川、中央構造線沿いに三好市、四国中央市と進み、西条市を目指す。
西条市内に宿泊

Memo
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走行ルート、徳島-三好-四国中央-新居浜-西条
http://yahoo.jp/oHEI4B
距離139km、獲得標高834m
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・伊予街道のち撫養街道そして讃岐街道
今日は、愛媛県の西条市まで行きます。朝、部屋で、昨晩コンビニで買っておいたパンを食べ、慌しく7時過ぎに宿を立ちました。

「徳島の朝」

徳島市からは、吉野川沿いに真っ直ぐ西を目指します。最初は吉野川南岸の伊予街道(192号線)を行き、途中で北岸の撫養街道にスイッチしました。

「吉野川」

それにしても”撫養”って読めませんよね、”むや”と読むらしいです。その昔、まだ瀬戸に橋が架かって無かった頃、関西から高知へ行くのにはこの路を通ったもので懐かしかったです。伊予街道は国道で堤下の道路です。平坦なのですが、殺風景な上に向かい風で、ドラフティングがヘタクソなオテチは遅れ気味になり、そして、すぐに心身が折れました。それでも2時間ほど走り、風を避ける為に、川幅が狭くなった所で川を渡って北岸を走る撫養街道を行く事にしました。こちらは比較的景色が良いですが、小さな起伏があって結構脚を使います。弱いオテチは、またしても遅れ気味になったのでした。そして、とうとうオーバーヒートして止まってしまいました。時刻は11時、出発から60数km来た所にある”道の駅三野”で早めの昼食を食べる事にしました。今日の予定では、走行距離は140kmなので、比較的イージーな午前中ルートの半分を消化出来なかったのは誤算ですが大事をとりました。「オえっ」と言いながらも無理やり飲み食いさせると、オテチは少し回復しました。

「吉野川は中央構造線上を流れる」
「いっぱい食え!!」
「社会勉強もする」
「まあ、休憩」
「旧池田町」

池田で吉野川に別れを告げ、さらに西を目指します。県境の峠まで9kmで200mほど登ると愛媛県です。結局、香川県は通りませんでした。峠のトンネルを抜けて愛媛県に入ると、残りは50km程なので後は消化試合的になりました。時刻は14時、坂を一気に下ると川之江(現四国中央市)です。そこからさらに西へは旧讃岐街道を行きます。旧道は、国道筋と違って道幅も狭く自動車も少ないので、遅いペースだと走り易いです。お寺とか道標があり街道の往時を忍ばせる味わい深い路を、ふたり馬首を並べて快適なサイクリングが出来ました。途中小さな丘を越えると新居浜市で、そして程無く本日のゴールである西条市に着いたのでした。

「192号線」
「愛媛県に入る」
「街道からのながめ」
「街道を行く」
「讃岐街道の一部は商店街を通っている」

・西条ナイト
日没間際に宿に着くと、先ずはツアー中お決まりの洗濯をしました。今日の宿は、所謂”働く人の宿”で、泊まっている人は、近くの港湾の労働者か、工場の関係者が多いです。こう言う宿は融通が利いて対応がフレキシブルなので居心地が良いのです。風呂は、宿のオジサンに勧められて、宿の内湯ではなく近所の温泉施設に行きました。「提携しているから」と入浴チケットを2枚もらって、再び自転車にまたがり風呂屋を目指すのですが、それが意外に遠くて3km近くあり閉口しました。しかし、ぬるめ湯は一応”ホンモノの温泉”だという事で、やたら広い湯船で存分に長湯をしてその日の疲れを取る事ができたので良かったです。風呂屋の帰り路、回る寿司を奮発し、さらに気分を良くしたのですが、忘れ物に気付いて、風呂屋までの夜道をもう一往復して汗だくになると言うオマケまでついたのでした。ゲロゲロ

「温泉でリフレッシュ」
「和室が良いな」
「働く人の宿」

 

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3日目、8/3(水)
西条市から南に進路をとり、加茂川伝いに石鎚山脈へ登る。
寒風山登山口から瓶ヶ森林道で石鎚山脈の尾根を渡り石鎚スカイラインを降りて久万高原方面から砥部を抜け、松山に至る。
松山市内に宿泊

Memo
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走行ルート、西条-寒風山-瓶ヶ森-久万高原-松山
http://yahoo.jp/UXipyh
距離142.7km、獲得標高2743m
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・恐怖、194の悪夢
今回の旅は、図らずも”中央構造線”を辿って熊本に至ると言う、ちょっとタイムリーな事(地震)になってしまっているのですが、走り易い路をなぞった事意外に、特別な意味はありません。そこで普通(?)に讃岐街道伝いに行けば、西条から松山までは50kmにも満たないのです。それなのに、なぜワザワザ遠回りまでして松山で一泊するかと言うと、今晩松山で合コンが控えているからです。詳しくは後述しますが、松山には、早く着き過ぎても、遅く着き過ぎてもいけないのです。ですから”瓶ヶ森林道、別名UFOライン”を見物して行く事にしました。オテチにはないしょの企画です。可哀想過ぎますよね。
宿を出て、進路を南にとりました。山を登って高知方面を目指します。国道194号線を行くのですが、これは四国山地、石鎚山脈を正面からまともに越えていく道なのです。UFOラインはその石鎚山脈の高知県側の尾根伝いに伸びています。吉野川及び仁淀川の源流地帯と言う事です。

「石鎚山脈を望む、あそこまで行くの、、」

予定している最高到達標高は、46.7km地点の標高1690mです。宿の標高はほぼ0mですから大変です。午前中はずっと登り続ける算段です。194号線をダラダラとしかし確実に標高を上げて行きます。18km地点に湧き水があり休憩をしました。そこで、些細ですが、しかし”重大な事故”が発生するのでした。そこで国道筋から旧道の峠道に逸れて寒風山隊道を目指すのですが、旧道は大変な山道だと言う事で、予め大事をとって虫除けスプレーを用意していたのです。休憩をした時にお互いがスプレーをかけ合っていました。そして、その時手が滑り、過ってスプレーのビンを割ってしっまっていたのです。今思えば痛恨なのですが、この時点では、大して気にも留めず、まさかそれが生命をも危うくする事態だとは思いもよらない事でした。

「湧き水は助かる」
「地獄への入り口」

狭い旧道の峠道に入ると、道路の表情が一変しました。道路脇の雑草が鬱蒼と生茂り、行く手を遮ります。掻き分けるようにして進むと、程無く黒い虫が飛んで来て身体にとまりました。「ハエ?」と思った次の瞬間、躊躇無く”ブスっ”とやられました。”チク”ではありません「あ゛」ともつかない声を上げて振り払うのですが、すぐにとまり直して攻撃して来ます。もちろんオテチもやられています。「アブって人間刺すんか!!」先程の虫除けスプレーなんか、汗で流れて全く効いていません。普段の生活の中では”刺すのは蚊か蜂”と相場は決まっていて、自転車に乗っている時に刺される事はそうそうはありません。蚊なんかは飛翔力が無いので追いすがって来てまでは刺されないのですが、アブは手強いと知りました。「だいいち家の近所には居ないでしょアブ、、滅多には、、、。」注意して見ると、行く先の道路上に点々と、そして我々ふたりの周りにはブンブンと、アブだらけの道です、、「ヤバイ」、ほぼ無数のアブに包囲された形なのでした。観察によると、奴らは駆け足以上のスピードになると追撃し難くなるなるようですが、アブ濃度は進むほどに増して行き、枯れる事がありません。そして、一度取り付いてしまえば悠々と刺し、そして血液を貪るのです。悲鳴を上げるオテチの背中を押して速度を上げようとするのですが、トンネルまでは10km以上あって600mアップの上り坂だし、すぐに力尽きてしまい、かえってスピードダウンしてしまう始末でした。それでも「助かるには漕ぎ続けるしかない」状況なのでした。もしも、立ち止まってしまえば、本当にアブの餌食になってしまうかもしれません。「親子で動物の餌になるなんて、、」ましてや、昆虫に思うままチュウチュウされてしまうなど、人間の尊厳として断じて許容できないのであります。自分とオテチ、体中にビッシリととまったアブは、もはや”振り払う”などと言う甘い事は言ってられない状況なのです。「オトーサン助けて、、」「そう言われてもコッチも忙しいにゃで、、」もう自分の事はあきらめて、半泣きのオテチに集中しました。オテチに群がるアブを掴み捕り、そして握りつぶし続けました。血を吸うのに夢中な奴らは、逃げると言う事を忘れているかの様に容易に掴み捕る事が出来ました。一度に4,5匹は殺れたと思います。”千切っては捨て、千切っては捨て”手はアブの体液と残骸まみれになりました。無限とも思われる時間が流れ、夥しい数のアブが死にました。その間、オテチは悲鳴を上げ続け、ツヨシは血を吸い続けられたのです。我ながらよく戦ったと思います。オテチの被害は思いの外少なく、対照的にツヨシは全身隈なく刺されまくったのでした。そしてついに寒風山隊道の入り口が見えたのです。「ヤッター」と喚声を上げながら、照明の無い真っ暗なトンネルに飛び込むと、ホッとしたのも束の間、追いすがって来たアブに”漆黒の中でさらに刺され続けられる”と言う恐怖を味わったのでした。ワーワーキャーキャー言いながら、しかし、それもやがてトンネルを抜ける頃には止み、ようやくふたりに束の間の平穏が訪れた。と、その時は思ったのでした。

「アブは写りません、動くから」
「寒風山隊道高知県側出口」

Memo
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教訓
アブに虫除けは効かない。持って行くなら殺虫剤。
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「たいへんだったねぇ、アソコはそうなのよ、この先は大丈夫と思うよー」
寒風山隊道を高知県側に出た所に観光パーキングと茶屋があり、売店のオバサンが我々のアブとの死闘を労ってくれました。

「観光パーキングの茶屋」
「死闘の後で、、」

が、「この先は、、」と言うのは違う話でした。ここからUFOラインの尾根筋に向かって、さらに数km高度を上げて行きます。さっきと比べると勾配のキツイ坂をエッチラオッチラ登っていくのですが、、「居るやん、アブ、。」尾根が近づくにつれ、陽当りが良くなると”無尽蔵”的ではなくなったものの、確実にアブは居ます。アスファルトの上で、まるで日向ぼっこをするように我々を待ち、そして襲って来ます。よく見ると車に踏まれたのか、潰れたアブの残骸がいっぱい転がっています。「ざまあ見ろ!!」と溜飲を下げるのでしたが「鬱陶しいと言ったらありゃしない、」もうヘトヘトになりました。

「もうつかれた」

途中出合ったハイカーのオバサンに事情を話すと、随分と同情してくれて「私は自動車だから、」と言って、オバサンの虫除けスプレーをビンごと我々にくれました。「たすかった」と思ったのも束の間、アブの野郎に虫除けはヤッパリ効かないのでありました。

「オバサンが虫除けくれたけど、、ちょっと手遅れ」

もうまったく”泣けるお話し”ですが、しかし、驚くべき事に、通りかかった崩落復旧工事現場のオッサンは、そのアブのウジャウジャ居る道路脇に板を引いて、イビキをかいて昼寝をしているしているのです。”刺されない”のか、はたまた”へっちゃら”なのか、「ジッとしてるしかな、、ワイルドってこう言う事なんやな」男子たるものかくありたいと思うのでした。

「ワイルドとは」

・UFOライン
“瓶ヶ森林道”別名UFOラインは、石鎚山脈の東側から南へ、尾根伝いの高知県側で舗装された林道です。そこに至る道はアブ地獄ですが、一旦尾根まで上がってしまえば、視界が一気に開け、植生もガラッと変わるので、アブの野郎も居ません。

「”瓶ヶ森林道”別名UFOライン」
「左から登ってきて右へ抜ける」
「とにかく登る」
「山の天候は変わりやすい」

“爽快”とも言えるのですが、度重なるアブとの死闘で体力も底をつき、補給もままならず、楽しむ間もなく文字通り”這う這うの体”で尾根を素通りして、転がり落ちるように”山荘しらさ”と言うカフェまでやって来ました。オテチは、既にグロッキー寸前です。ここまでは、出発から約50kmで、あと行程の2/3近くのおよそ100kmを残しているのですが、この高い山の上で時刻は13時をとうにまわって昼下がりに差し掛かりつつあります。”松山では合コン”が控えているので、なんとしてでも夜までには着かねばならないし、ここで立ち往生する訳には行きません。”非常にマズイ”事態になりつつありました。気は逸り焦燥感はつのりますが、とりあえず落ち着かければならないので、”しらさ”で昼食を食べるしました。そして、「カフェが開いていてホンマに良かった」としみじみと思ったのでした。このルートは都合の良い補給ポイントと言うものが全く無いのです。

「カフェしらさ、ここは高知県」
「しらさで昼食にありつく」

その松山での合コン相手と言うのが、”カヨウォンバット””ナオキテル””オッチーニ”(敬称略)の”3松山ローディー”なのですが、”カヨ””ナオキ”のふたりは、このツアーに先立って、このコースの下見をしてくれていたのでした。それはそれで心強かったのですが、自動車でのリサーチだったらしく、アブの観点からはマークが薄かったようです。「まさかココまでとは、、」一度彼女達にも味わって欲しいものだと思ったりしたのです。

「松山のローディー達」

石鎚山脈からは、石鎚スカイラインを降りて高度を下げて行くのですが、どっちも疲れてしまって、思う様に足が回らないのです。下りと言うのもなかなかに体力を使うものだし、少しの登り返しが登れず難渋しました。計画では久万高原町まで降りて、そこからもうひとふんばりして国道494号線で”黒森”峠を北へ越え、東温市を通り東から松山市に入るルートを予定していたのですが、「もう峠はご免だ」と言う事で、国道33号線で南を回り込む形で砥部町に出て南から松山市に入りました。

「峠はもうイヤやで」
「三坂の手前で大雨、踏んだり蹴ったり」

途中”三坂”と言う峠がありますが、今日登った一連の山岳越えからすると坂もゆるくて大した事はありません。三坂峠のトップから松山の市内までは、ほぼ下りで、暮れ馴染む砥部の町を生ぬるい風を切りスルスルと降りて行くのでした。「あーホンマニ疲れた、、ごめんよオテチ(心の声)」オテチは遠回りした事など知る由も無いのでした、、。

「松山市内まで後は下りのはず」
「砥部で日が暮れました」

・松山ナイト
松山でホテルに着くと、汗を流し着替えて直ぐに例の”3松山ローディー”と合流して”合コン”会場である近くの居酒屋へGOGO、なんと親子でゴチになりました。「ありがとうございました」我々は、ライドでヘトヘトで、”ナオキテル””オッチーニ”は仕事でヘトヘトだったようです。男性陣はおとなしくしていましたが、紅一点の”カヨ”はパワフルだったのが印象的でした。「女はタフや、、」「平日なんでこのへんで、、」楽しい時間は早く過ぎますねぇ、励まされ健闘と再会を誓い宿へ帰りました。

「松山の3ローディーと」

さて、松山での宿は、元有名ホテルチェーンだったと言う比較的立派なホテルでしたが、予算をケチって、ふたりは一つのベッドで寝ると言う契約です。先に寝た寝相の悪いオテチに蹴られながら寝るのですが、痒くて痒くてたまらないのです。アルコールのせいでしょうか、鏡で見ると全身隈なく”虻の食み跡”が赤々と広がっています。”無数”、もう数え切れませんが、よくよく見ると、何かの模様になっている様なのです。そう、コレは”ジャージの柄”なんですね、、。赤と青のラインだとか、胸のハートマークが、食み跡でキレイに再現されているのでした。「虻は濃い色を攻撃するって本当やったんやな、、」それを身をもって証明したのでした。結局痒くて朝まで寝られなかったのです。しかし、オテチの野郎は平気で高いびきなのでした。「意外とタフなヤツやな。」

「バイクラックのあるホテル」
「よく寝よる」

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4日目、8/4(木)
松山市から伊予灘沿いの海岸線を西へ、伊方町を目指す。
佐田岬半島を走り、フェリー乗り場のある三崎港前に宿泊

Memo
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走行ルート、松山-伊予-大洲-八幡浜-伊方
http://yahoo.jp/sgwSJx
距離95.7km、獲得標高1006m
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「松山の朝」
「旅仕様」
「松山城」

・伊予灘
翌朝、松山を離れしばらく南下すると、程無く路は海沿いに出ます。この先は30km以上にわたり、迫る山並みを左に、伊予灘を右に見ながら、海岸線を線路と道路が寄り添うように細々と続きます。道路はワリと立派なのですが、線路は電化されておらず単線で、絵に描いた様なローカル線なのです。町と言うか集落がぽつぽつと点在していました。自分的には”われは海の子”のイメージは、こんな感じの景色なのですが、実際には諸説あります。ただ、日本の”津々浦々”はどこでもこんな感じですよね。好きな景色です。

「伊予灘」
「予讃線」
「海と道路、線路と山」

対岸の島々までは30km程の筈ですが、湿度が高く見えませんでした。途中、昨夜”ナオキテル”から聞いていた、瀬戸内の名物”ジャコ天”屋さんに寄ったのですが、「わかり難い」と言われていたその場所は直ぐに分かりました。この辺り、あまりにも何も無さ過ぎて見落とし様がありませんからね。店のオジサンに「松山で聞いて来た」と言うと気を良くしてか、ひとつづつオマケしてくれました。ありがとうございました。

「じゃこてんや下坂」
「オマケしてくれたよ」

Memo
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じゃこてんや下坂
http://jakoten.info/
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・佐田岬
それにしても今日は暑いです。雲ひとつ無く晴れ渡って紫外線が凄いです。アブの食み痕と日焼けで皮膚がただれボロボロになりました。湿度も高く暑さは尋常ではありませんでした。それに、伊予灘沿いはコンビニ等が少なくて思う様にクールダウンが出来なかったので、熱中症にならないのが不思議なくらいです。
お昼過ぎに佐田岬の根っこの八幡浜まで出て来て、ようやくコンビニ休憩にありつきました。午前中に走った距離はたいした事無いのですが、ふたりとも、もう完全に茹だってしまっていて元気がありません。この先は、”佐田岬”を行きます。”佐田岬”は、ひょろ長く豊後水道に30km以上も突き出していて、伊予灘と宇和海を分けて隔てています。陸地は一番細く狭い所で1kmもありませんので、途中尾根からは南北両方の海が見渡せます。予定では、伊方原発の辺りから、山陰になる岬北部の海岸線沿いのクネクネ道を通る予定でした。しかしその道が細く長い上にアップダウンが激しいので、残りの体力を考慮すると「ムリ」と判断して、岬のど真ん中の尾根をストレートに貫く新しい国道筋を通りました。交通量は多くありません。しかし、これはこれで曲者で、標高の高い所を通りますから、少ないとは言えそれ相応のアップダウンはあります。尾根伝いなので左右の見晴らしが良いのですが、おかげで炎天下の下で日陰も無く、風が強く遅々として進まないのであります。でも今日は、フェリー乗り場のある岬の先っぽまで行って宿泊するので、脚を使ってまでは急ぎません。数km置きにある”道の駅”の全てでいっぷくしながらボチボチ行きました。しかし、わずか100kmのライドがこんなにツライとは、、、今日は疲れました。

「全然進みません」
「佐田岬の尾根筋からの景色は良い」
「紫外線が強い」
「佐田岬」

岬の先っぽまで行って尾根からすべり降りると”三崎港”と言うのがあって、その夜はその港の桟橋前にある”すぎやま旅館”に泊まりました。明日はここからフェリーに乗って四国を発ち九州に上陸するのです。宿と言うか町全体が寂れた感じでしたが、宿のおじさんは若者に理解があるそうで、我々を応援してとても良くしてくれました。

「着いたー」
「食い切れん、、」
「明日あれに乗る」

Memo
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すぎやま旅館
https://goo.gl/maps/bjAayNXtbdJ2
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「旅館すぎやま」

 

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5日目、8/5(金)
早朝、三崎港からフェリーに乗って豊後水道を渡り佐賀関港へ、九州に上陸する。
佐賀関港から西へ走り大分に向かう。
大分からは大分川沿いに、JR九大本線と並行する形で由布院を目指す。
由布院を過ぎた辺りからやまなみハイウェイに入り南下する形で長者原、そして九重連山を越える。牧ノ戸峠を下り切ると再び西へ進路をとり南小国町に至る。
南小国町に宿泊

Memo
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走行ルート、佐賀関-大分-湯布院-九重-南小国
http://yahoo.jp/WICUU7
距離120.9km、獲得標高2013m
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・九州上陸
予定では、この旅のゴール設定は”茶の子(熊本県阿蘇郡南小国町)”さんでしたので、我々のサマーツアーとしては今日が最後のライドとなります。その後の予定は、出発の段階では未定でした。オテチにとっても”今日”を乗り切れば、”夏のお勤め”は、一旦終わるのであります。しかし今日は九重連山越えがあり、連日の疲れもあってなかなかの苦行の一日になる事が予想されます。
早朝、三崎港からフェリーに乗って豊後水道を渡りました。豊後水道の最も狭い所は、”関アジ関サバ”で有名な豊予海峡です。海峡の幅は約14kmです。

「佐田岬は風車だらけ」
「船は幻想的な霧の中を進む」
「佐賀関の漁船団」

渡った対岸は、大分市旧佐賀関町でいよいよ九州に上陸であります。ここはもう九州人の縄張りかと思うと感慨深いです。語尾には「~たい」を付けなければなりません。フェリーを降りて上陸すると、別府湾沿いに西へ大分市内を目指します。

「九州やっほー」
「大分県に上陸」
「佐賀関港」
「大分ヤッホー」

今日も朝から暑いです。平地ですが、疲れもありますので、ペースは上がりません。そうこうするうち大分川に突き当たり、左に折れ、そして川沿いの国道210号線豊後街道に出ると、湯布院に向けていよいよ本日の登りが始まりました。ダラダラとそして徐々に勾配が強くなる”真綿で首を絞めるような”登りに苦しみました。

「イヤでも食う」
「九大本線」
「由布院の道の駅にて」

ヘロヘロになりながら湯布院まで来て、ここで距離は60km少々、標高は600m弱です。本日の予定行程からすると、どちらも半分ほどです。しかし、時刻はすでに正午を回っていますので焦ります。ここから山向こうにあたる南小国町の”茶の子”までは、九重連山を正面から越えて行かなければならないのです。湯布院を過ぎると豊後街道から舵を切って”やまなみハイウェイ”を南進します。

「やまなみハイウェイの入り口」
「やまなみハイウェイ」
「やまなみハイウェイから九重連山を望む」
「飯田高原」

“やまなみハイウェイ”は、飯田高原、九重連山を突っ切って阿蘇方面に向かう観光道路です。路面はスムースで信号もほとんど無く、飯田高原から九重連山を臨む景色も雄大です。小さなアップダウンを繰り返しながらジワジワと高度を上げながら飯田高原のど真ん中までやって来ました。ここから10kmで450mほど登ると、本日の最高到達ポイントの”牧ノ戸峠パス(1330m)”で、後は南小国までの残り20kmは、ずっと下りのはずです。陽も傾いて最後のがんばりをしなければならない局面で、登板を前にしてオテチに泣きが入りました。今までも何度と無く衝突はして来ましたが最後と言う事で気が緩んだんだと思います。執拗にグダグタ言うのでこちらも大人気なく怒鳴り散らしてしまいました。「馬鹿やろう勝手にしろ」。気まずさが支配する中、硫黄臭のたちこめる坂をグイグイと登りました。オテチは、遠く小さくなりなりながらも後をついて来るようです。どうあがいても進むしかないのですから、仕方ありません。思い返せば、写真が少ない時と言うのは、大抵喧嘩して気まずい時なのでした。自分もまだまだメンタルが弱いのです。今にしてみれば、どの様な状況でも、心を鬼にして写真だけは撮らなければならなかったのです。「次は必ず」と肝に命じたのでした。

「つかれました」
「硫黄の臭いが立ち込める」
「牧の戸峠」
「閉店」

牧ノ戸峠のパスまで来ると、いつの間にかオテチも追いついて来ていて、ご機嫌も持ち直していました。夜の気配がそこまで近づいて来ていましたから、感慨に浸る事なく下山します。長いクネクネ道を降り切ると、そこはいよいよ熊本県です。このロードにしては、珍しく信号があり、旧小国街道に当るので右(西)に折れると今度は直線基調のこれ又長い下り坂が続きます。まあ、疲れている時って言うのは、脚を止めていても風がしんどいものです。いい加減もう下りにうんざりした頃に、ハッと気付けば”茶の子”の前まで来ていたのです。18時は回っていたでしょうか、牧ノ戸峠パスから約1時間、ずっと下っていた事になります。そして、ついに、茶の子の店主”松崎氏”と逢ったのです。松崎さんは、ご夫婦で我々の到着を待ってくれていて、イロイロと歓迎の宴を催してくれました。「ありがとうございました、からしレンコン美味しかったです。」

「茶の子」
「ゴール」
「からしレンコン」
「マツザキ氏」

・南小国町の”茶の子”
さて、どうして”茶の子”なの?と言う問いに答えなければなりません。
「こんど、熊本まで行こうと思うのだけれど誰を訪ねていったら良いのでしょう?」と、SNSで知り合った大阪の自転車乗りの友達のサガン氏に聞いてみたのです。彼は何度となく九州ライドをした事が有った様なのでした。曰く、「南小国町に茶の子と言うカフェがあり、店主のマツザキ氏はカリスマだから彼に相談しなければなりませぬ。南小国町と小国町は明確に区別しなければなりませぬ。知らんけど。」言う答えが返ってきました。”一を聞いて十を知る”です。検索検索、なるほど”茶の子”は九州北部のローディーの聖地である事。松崎氏は、むぎ焼酎二階堂のCMに出演していて”逢いたい人”らしく、同世代である事。5月の震災の後、客足が遠のいて売り上げが落ちてしまった事を日々嘆いている事。等が判りました。「よし、会いに行こう」ダイレクトにメッセージしました。「今度、大阪カラ熊本マデ走ッテ行クノデ泊メテ貰エマスカ?」無茶振りもエエところなのでしたが返事は、「OK、カンゲイスル」でした。彼も、”一を聞いて十を知る”種類の人だったと理解しました。でも、「料金ハイクラデスカ」と聞くのは、御好意にたいして失礼かと思い、「弊社製品ノバイクラックヲ贈ルノデ、宿代ニ充テテ下サイ」と返しました。ディールは成立したのでした。バイクラックは、ゴールに相応しい様にチェッカーフラッグと”CHANOKO”をモチーフにしたモノを作って出発に先立って送っておきました。そして、そのバイクラックにバイクをかける事が、今回の旅の目標になったのでした。
果たして無事にバイクラックにバイクをかけてゴールを果たしました。初めて会うマツザキ氏が近づいて来て開口一番「お疲れ様、”CHANOKO”の”N”の字が裏表反対やで、ワザと?」「おーまいが、、、勘弁してください。」これが最初の出会いだったのです。

Memo
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二階堂酒造 大分むぎ焼酎二階堂 「心をつなぐ-春夏-」篇
https://youtu.be/o5DraCnGnz0
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「お茶目なマツザキ氏」
「茶の子チームがあります」
「無事にバイクラックにかける事が出来ました」
「ホンマや、Nが裏返ってる」

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6日目、8/6(土)
安息日、南小国町を拠点にして阿蘇方面を見て周る。
南小国町に宿泊

・熊本2DAYS
泊めて頂いたのは、”茶の子”の隣の松崎氏のご実家です。つまり、彼のご両親のお住まいで、ビックリするような大邸宅のお座敷に2泊させていただきました。ありがとうございました。
次の日、お家の軽トラを借りて、震災後の阿蘇の町や、震源地の益城町の様子を確かめに行きましたが、やはり震災の爪痕と、その後の交通などへの影響は厳しい物があり、ふたりともズシッと重い気分で帰って来る事になりました。でも、実際自分の目で見て体験しないと他人の痛みも分からないし、知る事は大事と再認識したのでした。少なくともこの事がきっかけで、遠い九州の事をいつも気にかける様にはなりましたし、無関心が一番良くないと思っています。

「軽トラ借りた」
「阿蘇を望む」
「オテチ」
「熊本のお土産は、アベックラーメン」
「ソウルフード?」

さて、南小国ナイト。お風呂は、近所の公衆浴場に行くスタイルで、公衆浴場と言ってもリアル温泉です。この辺りはいたる所に温泉が湧いています。震災の後、その温泉の客足が途絶えて困っていると言う事らしいです。2日目の夜は、少し離れた”満願寺温泉”に行きました。”満願寺温泉”は”日本一恥ずかしい温泉”の異名があって、川湯は細い川を挟んだ海岸の道路から丸見えです。なんと、しかも混浴(内湯は別々)なので、ローディー各位のライド後にお勧めですが、決して仁王立ちしてはいけません。

「内湯は男女別」

Memo
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満願寺温泉 川湯
https://goo.gl/maps/K8MxevxTJ822
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7日目、8/7(日)
南小国町を発って博多方面を目指す。
日田を抜けて途中大宰府天満宮に立ち寄り、博多駅から新幹線に乗り滋賀に帰る。
走行ルート、南小国-日田-大宰府-博多

Memo
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http://yahoo.jp/vex9RGr
距離112km、獲得標高793m
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松崎氏には、大変なお世話になりました。無茶振りにもかかわらず、その”一を聞いて十を知る”レスポンスは打てば響くようで心地良いものでした。仔細は筆舌に尽くしがたいですが、これに懲りず末永くお付き合いいただけたらと思っています。
帰路については、震災の影響で通行止めだった日田街道方面が、迂回路で通行可能になったと言う事で、予定通り博多に向かう事になりました。
南小国を発つ朝、松崎氏は、案内と見送りを兼ねて途中まで自転車に乗って伴走してくれました。小国町や杖立温泉を観光?しました。知らなければ素通りしてしまったところでした。重ね重ねありがとうございました。再会を誓い、握手をして分かれました。

「マツザキ氏のおとっぁん」
「親子」
「小国観光」
「杖立温泉」
「蒸し湯」
「再会を誓う」
「この辺りは大分県」
「さようならー」

・帰路
松崎氏と別れた我々は、日田、うきは、朝倉と地上に降りて行き、現実へと戻って行くのでした。今日は博多から新幹線に乗って滋賀に帰るのです。博多方面は近く下り基調なので急ぎません。

「九大本線天ヶ瀬駅、絵に描いた様なローカル線」
「夜明ダム」
「筑後川」
「九州最後のゴハンはとんかつ」

標高が下がって来ると、やはり暑いです。バテ気味になっていると、途中、朝倉の辺りまで博多の丹野氏が迎えに出てきてくれました。オテチが来春中学を受験する友達に大宰府のお守りを買いたいと言うので案内してもらいました。博多に着くと、オプションだった、フレームビルダー原田氏の工房の表敬訪問をしました。丹野氏と原田氏は地元同士と言う事で意気投合したようです。その後、丹野氏には博多駅前の銭湯まで連れて行ってもらいお別れしました。

「丹野氏に導かれ」
「丹野氏とオテチ」
「大宰府に連れて行ってもらいました」
「原田氏と」
「記念撮影」
「九州の締めくくりは雨」
「また来ます」
「さよなら九州」

風呂で汗を流し、自転車を畳み新幹線に乗ると、どんどん現実へと引き戻されて行くのを感じました。あんなに「ひーひー」言ったのに、電車だとアッと言う間です。帰ってしまうと、オテチは夏休みの続きですが、コッチはイロイロあるのです。生活をしないといけませんからね、、。

「京都までアッと言う間」

今回の旅は”人に逢う”と言うのが裏テーマだったのですが、本当にたくさんの人に会いました。どの方にも無茶振りをして、大変なお世話になったのですが、”遠慮はしない”と決めていたので、他人の好意をむさぼる様に享受したのでした。
「もう二度とゴメンやから」と捨て台詞を残し母親の元に返って行ったオテチは、この旅をどう思ったのでしょうか、、。確実に言えるのは。”日本は広い””夏は暑い””世間のオトナは良い人が多い””オヤジは厚顔無恥で怒りっぽい”事をトラウマの用に心に刻んだでしょうね。何度も怒鳴ってやったし、、「でもな、”二度ある事は三度ある”と言うぞ、オテチ」

「湖西線にて」

おわり

MEMO
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2014年度版リポート

“GO!GO!EAST 2014”始末
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“GO!GO!EAST 2014”始末
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2013年度版リポート
“summer_tour_2013”始末、その1
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“summer_tour_2013”始末、その2
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“summer_tour_2013”始末、その3
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2011年度版リポート
Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 まえがき
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」1日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 2日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 3日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 4日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 5日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 あとがき
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