Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2017 “大九州一周” (3)

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2017
“大九州一周” Day3

2017年7月31日 月曜日 吉日
“大九州一周”3日目
拙い文章だけだと旅のイメージが伝わらないと思うので、ここでちょっとビジュアル的に振り返って見た。
博多-糸島-唐津-呼子-鎮西-玄海-伊万里-佐世保-西海の崎戸と来て、今日は、天草まで行くつもりなのだったがマップは島原止まりとなっている。ワケは後述されると思う、、。

2017年7月29日 day1 土曜日のルート 博多-呼子

2017年7月30日 day2 日曜日のルート 呼子-西海

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「さよなら崎戸町、橋を渡る。左が崎戸の島、右が西彼杵半島」

2017年7月31日 day3 月曜日のルート 西海-口之津港

本日、午前中の見所は、西海市から長崎市に至る、西彼杵半島西岸ライドだ。
進行方向左から山が迫り、右(西)に角力灘の海を見渡しながら走るその眺望の良さは期待できる。
特に”外海地区”と呼ばれる地域は、遠藤周作の”沈黙”の舞台になった土地で、その記念の”沈黙の碑”の碑文にある様に、とにかく”海が碧い”のだった。
でも、やはりというべきか、遥か50km以上先にある五島列島の島影は見えない。昔は見えただろうと思うけど、近年では大陸からの飛散物が多く霞んでいると言う事らしい。

「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」
遠藤周作による碑文

遠藤周作文学館

外海観光サイト

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「遠藤周作文学館から角力灘を望む、トモギ村はあの辺りだろうか。」

奇しくも、その遠藤周作の”沈黙”が、今年(2017年)の初めに、スコセッシ監督の映画”サイレンス”として公開されていたので、その碧い海のシーンが気になっていた。


しかし、その眺望のよさと引きかえの様に、道路のアップダウンが激しいのだった。
「踏むのだ、踏め、踏んでいい、、オテチ、、by ロドリゴ神父」と言われても、、
オテチは、登りは必死、下りはオッカナビックリで、景色を楽しむ余裕なんて、、、無いよな。

常に”登りか下りしかない”印象が残っている。高い山とか、峠ではなくて、ほぼ海面のレベルから、”数十メートル登っては海面に降りる”と言った繰り返しが延々と続く。”津々浦々”とはこの事だ。下りの苦手な我々は、せっかくついた下りの勢いを登り返しに生かせず、結局、常にゼロから坂を登る事になってしまうので、”ずーっと登っている”気分になってしまうのだった。しかも、連日の猛暑は今日も続いている。当然ペースが上がらず予定していた長崎市の到着時刻は先へ先へと遠退いて行く。当初は長崎で「早い昼食を」のつもりだったのが、正午中の到着なんて「とんでもない事」って感じになった。大きな誤算だった。今日は、ドーンと大きく出て170kmくらいの距離を走るつもりをしていたので、前半で早くも大きくつまづく事になってしまった。「ヤバいぜ、、オテチ、頑張れとしか言い様が無い。」「……。」

そして、最後にググッと登る峠を越えると、ようやく長崎の街に着いた。長崎の街は、入るのにも出るのにも峠を越えなければならない。「長崎県って坂ばっかりやな」と言うのが率直な感想だ。”長崎の人は自転車に乗れない”と言う都市伝説も「さもありなん」と言う感じがした。

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「長崎平和公園」

さて、本日のグルメ。
時間がおしているので、店に入って食事をするのもどうかと思ったが、遠路はるばる長崎まで来て、本場の”チャンポン”を食べないのは精神衛生上よろしくないと思い留まり、グーグルでチャンポンの店を検索する。しかし、本場だからと言って、何処彼処にいっぱいあるわけでは無くて、実はそんなに無い。”観光客が絶対立ち寄るべき名店”なんて言うのは見つからなかった。”それ”は別に珍しくもなく、あらたまっては無いと言う事の様だ。まあ、庶民の食べ物だからね。だから、特に選ぶ事はせず、現在位置から程近い、比較的評価の星の多い店に適当に入った。

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「本日のグルメは”長崎チャンポン”中華大八」

そこは、チェーン店で、チャンポンもラーメンも出す中華料理店の体だし、出て来たチャンポンも、ビジュアル的にはなんの変哲も無かった。だが、、あきらかに関西のよりも”美味い”、、と思った。「出汁か!」「麺か!」謎は深まる。これが本場ってものなのだろう、、長崎は侮り難いのだった。それに、スープの塩分が、体液を流しつくした身体に心地良く滲みた。


そして、大いに満足して店を出ると、時計を見て戦慄するのだった、、。「もう2時前やんか、、ヤバイぜ゛オテチ。」
計画からすると、目的地の”天草、下田温泉”までの距離は、あと100kmは残っているし、なんと言っても今日は”フェリーの時間”って言う関門がある。最終の出航時刻は、たしか18:00だったはずだ。まったくの後出しだが、当初はこんなに遅くなると思っていなかった。島原の先っぽにある口之津港のフェリー乗り場まで、あと70kmくらいだ。「4時間か、、。」普通に考えたら楽勝のはすが、午前中の実績では、「それが微妙」なのだった。もしも、万一、乗り遅れるような事態になれば大変な事になる。以後の予定が全部狂う悲劇に発展しかねない。それに、間に合ったとしても、対岸の天草鬼池港から下田温泉の宿までは30kmほどの距離があるから、夜の田舎道を行かなければならないと思うと気が重かった。この辺りは街灯なんてほとんど無いから、それを思うと「恐怖やな」だった。計画に黄色信号の点灯。 それなのに、長崎から先は、午前中より増してアップダウンが激しくなった。 越えて行く一つ一つの勾配のうねりが、あきらかに大きくなった様だった。このツアーに向けてGPSを導入していたから、高度計でそれがよく分かった。高さ100m近くをぐーっと登り、ばーっと0mまで降りる事を幾度と無く繰り返す。結構勾配がキツくててこずってしまった。 そして、時間が経つにつれ、ライドは死闘の様相を呈して行った。オテチに、「もっと脚を回せ、ペースを維持しろ」と鞭を撃つが、オテチのペースは、見る見る下がって行き、そしてついには、全く坂が登れなくなってしまって、速度がほぼゼロになると、挙句の果てにパタンとその場の道路上に落車してしまった。後続のドライバーも驚いた事だろう、幸い大事には至らなかったが、車の通りも繁盛な国道筋の落車には、どちらもがショックを受けた。 オテチ曰く、「全然力が入らない」との事なので、たぶんハンガーノック(極度の低血糖状態に陥ること)だろう。さっき長崎でチャンポンを食べてから、20km足らずしか走ってないので、「まさか」と思ったが間違いない。オーバーヒート(熱中症)と違い、危急な生命の危険は無さそうだった。オテチのハンガーノックは、過去からの長いツアーにおいて、後にも先にもコレだけだけなのだが、いずれにせよ保護監督者としては失格だ。言い訳をするなら、「こっちは、常に残りの距離と時間を計算してスケジュール管理に気を取られながら走っていたので、オテチの体調に関してはノーマークになってしまっていた」って事だけど、親として反省をした。

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「疲れたオテチ」
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「島原の風景、国道筋から普賢岳は見えない。」

フラフラになりながら、なんとか次のコンビニまで走って緊急ピットイン。養分補給をするが、一旦こうなってしまったら早期の復活は難しいだろう。今日予定していた天草の宿まで行く計画が黄色から赤信号に変わってしまった。「どうするオレ、、」。「しゃーない」宿にキャンセルの電話を入れる。”渡船に間に合わないかもしれない”旨を伝え、後は平謝りした。もちろん、こちらが全面的に悪いのだが、「キャンセル料は予定金額の半額です。」との事で、少なからず救済された。ドタキャンは双方にとって不幸な事なのだ。さて、問題は、泊まる所が見つかるのかと言う事だ。”少し走っては検索して電話”を何度と無く繰り返すが、運悪くこれから向かって行く先の土地の宿はどこも満室だった。だいたい島原の先っぽには、”宿”ってモノがそんなに無い。さらに、「どうするオレ、、」は続く。


でも、宿をキャンセルしたから急ぐ必要は無くなった。が、しかし、アップダウンは続く、、。
毎コンビニに停まる形で微速前進をした。パターンとしては、登って降りると、その浦の浜にコンビニがあるイメージだ。そうこうするうち、陽が西に傾き出して疲れもピークに達した頃、立ち寄ったセ○ンイレブンのレジで遭遇した「この先、坂は一つも無い!」と自信たっぷりに言い放ったオ○サンに後光が射して見えたのだった。「マヂすかっ!!」
果たして、彼女の言葉にウソは無かった、、。島原半島の南半分の沿岸の地形は穏やかなものだった。陽が傾くと、気温が下がって来た。オテチもいつの間にか復活していた様だ。ふたりともなぜだか脚がよく回る。平坦な道をグイグイ走って、遅れを取り戻していく。

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「島原半島西岸の海」

「間に合うんじゃね?」「キャンセルしちゃったで」「間に合うんじゃね?」「キャンセルしちゃったで」さらにさらに、「どうするオレ、、」は続く。 “急いでもしょうがない”と分かっていても着いちゃうんだから仕方ない、、。努めてゆっくり走ろうとするが、それはそれで面倒な事だ。


「着いちゃった、、」 口之津港への到着時刻は、18:10だった。フェリーは居ない。「急いだら間に合ったかも知れないな、、」乗船手続きの時間を考えたら約30分の遅参になる。残念。いまさら言っても仕方無いから宿を探す。どの宿も、基本は”お断り”なのだったが、事情を粘り強く説明する事で、港に程近い民宿の一部屋をゲットした。「急な事で客室の用意が出来ていませんので、」との事だったが、半ば無理矢理押しかけた形になってしまった。もちろん夕食は望むべくも無く、「食材もありません」だったので、入浴後コンビニへ買出しに行くべしと思っていたが、風呂に入ったらホッコリしてしまって外出が億劫になってしまった。わずか1kmと近いとは言え、やっとの思いで降りた自転車に、もう一度乗って夜道に出るのをためらって、風呂上りに食堂でお茶を飲みながらグダグダと、文字通り”お茶を濁して”いた。 それを、見かねたのか、宿のご主人が、「他のお客さんの余り物ですが」と言って”おにぎり”と”味噌汁”を出してくれた。 ふたりで、おにぎり一つ、味噌汁一杯をシェアするのだから、それはまさに”余り物”だったが、、心身に沁みた。 しかし、それで不思議と空腹感は治まって、その晩は、部屋に帰ってそのまま寝た。オテチのハンガーノック事件以降、ストップ毎に食べ続けていたから、さもありなんと思った。 宿(ペンション 隣のたこちゃん)のご主人ご夫婦には本当に感謝している。

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「ペンション? 隣のたこちゃんにて」

ペンション 隣のたこちゃん

今日のライドは未消化に終わってしまった。その距離はおよそ140km。明日30kmを積み増ししなければならないのか、、、。

つづく

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Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2017 “大九州一周” (2)

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2017
“大九州一周” Day2

2017年7月30日 日曜日 吉日
“大九州一周”2日目
朝8時、宿を出ると、有名な”呼子の朝市”を見物して回る。日曜日だけど時間が早いからか、人出はまだ少ない。ライドの途中で魚を買ってもしようが無いから見るだけ。

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「呼子の朝市にて、結構立派なイカ、一杯250gで500円ほどやて、」
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「イカ干し機、」

本日のライド計画は、呼子-玄海-伊万里-佐世保-西海と、佐賀から長崎へと未踏の地を行く予定で、スタートすると先ずは伊万里を目指して南下する形だ。呼子を出てすぐの名護屋大橋を渡ると、そこは旧鎮西町だ。”鎮西”と言えば某モノノケアニメに出て来ていたな、、”齢500歳にもなる”乙事主”が、この地から猪族を引き連れて云々”と言う事でオドロオドロしいイメージがあってビビッて来たけど、自然豊かで風光明媚な所だった。なるほど、猪の多そうな田舎だ。

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「名護屋大橋、左が鎮西、右が呼子」
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「鎮西を行く」

鎮西の小高い丘の上に名護屋城跡がある。秀吉の朝鮮出兵の折には、この狭い田舎の半島に何万もの秀吉軍がひしめき合って陣を張って駐屯していたのだった。「当時ロジスティクスはどうしていたのだろうか」などと想像を巡らせると興味深い。この半島からだと、壱岐、対馬、と渡ると朝鮮半島は目と鼻の先だし、人の往来も激しかっただろう。しかし、当時の最前線も今では過疎になってしまったようだ。ひっそりとしていた。この辺りから伊万里にかけて、佐賀県北部のリアス式海岸と棚田、里山が織り成す景色は実に自然豊かできれいな所だと思う。交通の便の悪さも相まってか交通量も少なくてサイクリングには絶好のロケーションだと思うので、再訪したい場所の一つだ。

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「リアス式海岸と棚田」
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「玄海町の浜野浦は棚田で有名」

途中、伊万里に向かう沿道(と言うか九州の沿岸部全般に言える事だが)にはコンビニが少なく、水分の補給には自動販売機のお世話になる事が多かったので、小銭を必要以上に多く消費してしまった。逆に言えば、日本中どこに行っても自販機だけは必ずあると言う事だが、その分サバイバル感は薄れてしまっていた。ボトルの生ぬるい水を飲まずに済むが、その都度自販機で飲み物を買って飲む事は贅沢な事だった。

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「赤い自動販売機にはお世話になりました。」

伊万里の街を抜ける。焼き物の街”伊万里”には期待して来たのだが、炎天下の駅前はひっそりとして人影も薄い、観光の街と言う訳でも無さそうだった。ほぼ素通りする。

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「伊万里にて」

伊万里を抜けると、次は佐世保を目指す。伊万里から佐世保へのルートは2種類あって、通称「国見越え」と呼ばれる国道498号を通る山道で佐世保の街に直接降りる道と、国道202号線で鉄道伝いに有田の辺りを通り早岐に抜け回り込む道がある。早岐は、佐世保から見ると今日の目的地である西海を目指すなら5kmほど行き過ぎた所なので、同じ道を戻るのが嫌いな自分はあえて国見越えを選んだ。国見越えは、伊万里から約7%8kmの勾配だ。202号を行けば標高差は100m程なので、峠と言うほどでもない。一般的に鉄道が通っている所は勾配がなだらかだと言う事だが、その事は土地勘の無いオテチにはナイショだった。自分のエゴを通した形だった。国見越えは数字以上にキツイライドになった。午前中、山の東斜面で直射日光を前からモロに浴びる形だから、その体感の暑さは温度計の36℃と言う指数以上だ。頭が重くてクラクラするし、「こりゃ熱中症じゃね」って感じ。オテチより先に自分の方がへばってしまいそうになったが、コレよりエグい暑さは何度も乗り越えて来たから対処の方法は心得ている。出力を落としてペースを落とし、オテチの手前、平静を装うのだった。ヤツは軽いので幾分マシな様だった。オテチに、坂で負かされる日はそう遠くないかもしれない。山越えのルートを選んだバチが当ったって事だろう。昼までに佐世保に着くつもりが登る途中で正午になってしまった。

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「国見越え」
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「オテチバイクは、前34x後ろ32と言う楽々ギア」

這う這うの体で峠を越えると、いよいよ長崎県だ。下りは体重のおかげで呆気ない。佐世保に着いたのは13時を回っていた。昼食は”佐世保バーガー”を食べようと、グーグルさんに導かれ、暑い中、すきっ腹を抱えて佐世保の街を彷徨うが、日曜日の昼間でどの店も”行列”が出来ていた。「ダメだこりゃ」。オテチのご機嫌もナナメだし、昼食は、”佐世保バーガー”を諦めて、コンビニの”カルボナーラ”になってしまった。トホホ。時間が無くて海軍の船も見る事は出来なかった。トホホ。

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「日曜日、佐世保バーガーは、どの店も長蛇の列が出来てました。」

さあ、西海を目指そう。西海市は大村湾の西岸である西彼杵半島の上半分先っぽにあたる。大村湾は、佐世保湾への出口に針尾島があって蓋をした形になっているが、やはり大村湾は海だと言う事だ。
グーグルマップ西海市
大村湾の海水は、この針尾島西側の日本三大急潮のひとつの針尾瀬戸し言う水道を通って出入りしているのだがその幅は200m程しかない。針尾島を抜けて西海橋で針尾瀬戸を渡ると、いよいよ”西彼杵半島”に上陸だ。それにしても、西彼杵半島(にしそのぎはんとう)って読めないよな、、ひとつ長崎通になった。

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「西海橋で針尾瀬戸を渡ると西海市」
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「西海橋の上から、向こうに大村湾が広がる」

今日の宿泊地”崎戸町”は、西海橋からだと、ちょうど西彼杵半島の反対側で、五島列島方面に西に向かって小さな島が寺島、大島、蠣浦島、御床島とパラパラと連なった島の町だ。宿は、諸島の突き出た先のトドの詰まりの突端に位置している、御床島の”桜櫻”に泊まる。ネットで検索して探した。テーマは”辺境”だった。わざわざこんな不便な所まで出かけて行く値打ちのある宿とは、、って感じだ。下世話な話だが、お値段は、お一人様1泊2食付きで8,000円、造り付きだと10,000円、それが伊勢エビだと12,000円だ。悩ましい。人生において、そんな高い宿に泊まった事無かったからね、いつもは素泊まり専門で、宿で御飯を食べると言う習慣も無かった。でも、今回のツアーでは、なるべく宿で御飯を食べる事にしていた。旅の裏テーマは”九州の食”だし、結局ツアー全体でのトータルの予算も把握しやすい。ただし、夕食の時刻というハードルが発生するけどね、、。とりあえず最安で予約はしておいたものの、ここ1ヶ月ほどは「それで良いのか」と自問自答し続けていた。結局出発の段になって、「料理は10,000円のにして下さい。」と連絡したのだった。なんぼなんでも直前はまずいと思ったので前倒しで言うのは勇気が要ったが、おかげで大いに溜飲を下げた。でも、12,000円と言えない所が小市民的で悲しい。
今日のタイムリミットは「お料理の都合がありますから18時を目処に来て下さいね」って事だった。今の季節、日没は19時過ぎだから、18時だと結構陽は高いので油断していると遅刻してしまう。最後は、結構な巻きで18時ギリギリに到着したのだった。

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「島伝いのライド」
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「トドの詰まり御床島」

宿に着くと先ずは、風呂に入ってサッパリした。陽はまだ高い。料理の事もあるが、「せっかくだから夕日を見て来て良いですか」とお願いしたら、快くOKが出て「島の裏側にある”北緯33度線展望台”に行くと良いですよ」と、自動車の鍵を貸してくれた。御床島は、東西2kmにも満たない小さな島だけど、山道だし、もう風呂に入ってしまったから自転車は億劫なんで助かった。あいにく五島列島は見えなかったけれど、夕日はきれいだった。最果て感MAX。

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「”北緯33度線展望台”にて、最果て感MAX」

宿に帰ると、隣のオトナのパーティーは、既に宴会を始めていた。アッチは、どうやら”12,000円”らしかったが、こちらもオプション付きだから、決して見劣りしていなかった、、と思う。その後、絵に描いたような”竜宮城”の豪華料理が会席スタイルで続き、「もう食えん!」「ここは天国なの?」極楽のうちに夜が更けて行ったのだった。

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「オプションの造り、ひらめ!あわび!とか、、」
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「あらかぶ、関西ではガシラ、カサゴの事」

次の朝、昨晩の想いが通じたどうか分からないが、味噌汁に伊勢エビの半身が丸ごと入っていて驚いた。これまた豪勢な朝食なのだった。”桜櫻”お勧めです。遠いけど、、

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「豪勢な味噌汁」
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「島宿”桜櫻”」

本日のグルメ
昼食、”佐世保バーガー”不発残念
夕食、“桜櫻”にて、”ひらめ””あわび”他、海の幸

本日の宿
崎戸町、御床島の島宿“桜櫻”
一泊2食、造り付きで10,000円って冷静に考えたら安いよな、、
それって東京だとビジネスホテルの値段やんか、。
伊勢エビ付きにすりゃ良かったかな。
後悔先に立ってたけどケチった。それでも満足。

本日のライド
120kmくらいか、、
ルートラボ2017 Team BIWAKOGUMA summer tour 呼子-西海
酷暑の国見越えはキツかった。全体的に小さなアップダウンがあってペースは上がらす。

つづく

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Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2017 “大九州一周” (1)

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2017
“大九州一周” まえがき

“”「二度ある事は三度ある」はたまた「三度目の正直」と言うべきか、
オテチの言葉を借りて言うと「とにかく嫌で嫌でたまらん」我が家の夏のツアーも、
早、今年で3回を数える仕儀と相成りまして候。””

“ですます調”で書くのは疲れるから、今回はやめた。

最初(2015)は、大阪から東京まで、京都・滋賀・岐阜・長野・山梨・埼玉と中仙道から秩父の山中を経由して約640kmを5日間で走り、去年(2016)は、大阪から博多まで、和歌山・徳島・愛媛・大分・熊本と、中央構造線伝いに四国を経由して約720kmを1週間かけて走った。
過去の記事

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「ゴール地点東京CCTYOにて2015年夏」
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「松崎氏と大分県日田周辺にて2016年夏」

そして今年(2017)は、2016年の続きと言う事で、博多から事を始める事にした。
「さて、、何処へ行こうか、、」
九州は、”まったく知らない土地”と言うわけでもないが、いざ「九州の地図を描いてみろ」と言われると途方に暮れる。特に長崎の形なんかは難解だ。やはり、結局の所はよく知らないのだった。
そう言えば、人生において長崎と青森には行った事が無かったから、とりあえず長崎は行き先に含めるとして、その先はイメージが湧かない。地図と睨み合う。しかし、よくよく俯瞰して見ると、バラバラだと思っていた海上の島々も、結構な確率で橋が架かっていて、島伝いに走って行けそうな雰囲気が分かっって来た。常々、オテチには、”日本のリアルな姿”を教えたいと思っていたので、ここはドーンと大きく出て九州一周をしてやろうと画策したのだった。コースにもよるが、延長1000km以上あるだろうか、、”ビワイチ”ならぬ”キュウイチ”だ。しかし、、このネーミングでは、いまいちスケール感に欠けるから、”大九州一周”と銘打った、、。
大げさな話しだ。路は可能な限り沿岸部を大回りして行く事にした。

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「”大九州一周”の企画書」

オテチには言ってないが、今年は、なんかうまいもんでも食ってやろうと思っている。

さて、”オテチ”。
2015年に始めて東京へのツアーに連れ出した時は、小学5年生のまだ儚げな小さな子供で、可愛げな分部も少しはあったが、中学1年生になった今年は、身長も170cmを越えていて、遠目の見た感じは大人と変わらなくなった。それでも胸板は薄くてペラペラだから、R社製ジャージのサイズはXSだ。着丈は幾分短めで、下がショーツだと背中が見えそうになっている。たぶん今回のツアー一回だけしか着れないと思う、、、贅沢な話しだ。

自転車は前回までのホイールが650cのヤツが小さくなったから、新しく700cのフレームを作ってやった。身長と手足の長さから算出すると、ワリと立派なサイズになったし、機械は、いっちょまえにオヤジとお揃いの”カンパニョーロ”製の機械を張り込んだ。しかし、ギアは34×32と言う”子供仕様”というチグハグな厨ニバイクに仕上がった。これで、毎回苦労する上り坂は、かなり楽なはずだが、、、贅沢な話しだ。

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「2015年のオテチ(650c)」
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「2016年のオテチ(650c)」
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「2017年のオテチ(700c)」

そして、近年では、オテチはカメラを向けると努めて変顔を作る様になって行くのだった。
「ふざけやがって、、このやろ」

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2017
“大九州一周” Day1

2017年7月29日吉日
慣例に従って、今年も電車に乗る事からツアーを始める。
慣例に従って、ジャージ姿での乗車だ。

特急料金をケチったので、博多に向かう新幹線は京都ではなく新大阪から乗車する。
指定料金をケチったので、のぞみの車両は自由席に乗る。自由席の車両は先頭から1.2.3号車だ。
3号車に乗車するとなると、ホームの端まで自転車を担いで歩く必要があるが、新大阪駅のJRホームからだと、それがはるか彼方となる。
JR東海と違って博多行きの便が少ないのに乗り換え時間があまり無かった。急いだ。いきなり体力を消費する。
ツアー初日の今日は、滋賀の家から佐賀の呼子まで行って”イカ”を食べる予定だ。素泊まりする宿はもう予約してあって、博多までは新幹線で行き、博多から呼子まで、玄界灘に沿って80kmほどを走れば、”呼子のイカ”にありつけると言うイージーなライドになるはずだった、、のだが、、。
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博多に着いた我々は、慣例に従って駅の構内で自転車を組み立てる。ツヨシはもう既にチャンネルが戦闘モードに入っていて、わき目も触れず突っ走るのだが、オテチのヤツは往生際が悪くモタつく。組み立てる場所の選択について、人目がどうのこうの、とウダウダ言うので一喝する。
「だれも我々の事など気にも留めていない、言ってる間に終わるだろう!!」
今回のツアーでは、”状況によってテンポをチェンジしなければならない事”を、徹底して教えようと思っているが、先が思いやられる。
自転車が組み上がると間髪入れずに街に飛び出した。もう待った無しだ。11:00を少し過ぎた博多の街は既に暑い。この所、西日本では、毎日当然の様に猛暑日が続いていて、心身共に準備不足な我々にとって、今日のライドは厳しい事になるかも知れないと予感させた。

呼子に向かう前に、博多でしなければならない事が2つある。
去年の事もあって、九州各地にも人の縁が出来たので、博多は素通りは出来ないのだった。

1.”原田製作所”に表敬訪問

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「志免町の原田製作所」

“原田製作所(SAMSON)”は、福岡空港の東側、新免町にある。フレームビルダーの原田氏には、自身の自転車作りにおいて、材料や技術の事で助言をいただいたりして大変お世話になっているので、九州到着のご挨拶に伺う。そして、今年のライド開始の報告をした。昨年のライドの折は、ここでライドを締めくくったのだった。原田氏から「昼食は、”フロータン”でカレーを食べるように」と指示を受ける。もとよりそのつもりだったのだが、博多地区での自転車関係繋がりの広がりを感じたのだった。
“原田製作所(SAMSON)”のホームページ

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「原田製作所にて2016年夏」
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「原田製作所にて2017年夏」

2.”フロータン”でカレーを食べる

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「フロータンでカレーライスの昼食」

“フロータン”は、この夏、中央区の平尾に新しくオープンしたカレーの店だ。オーナーは”アータン”と言う方で、今回が初対面だったのだが、昨年のライドの折にお世話になった丹野氏の縁者と言う事らしく、丹野氏がSNSで開店を告知されていたので気になっていのだった。残念ながら丹野氏は店に居なかったけど、アータンは、言葉の雰囲気で我々が関西から来たと言うのが判った様だった。
「あんたらやな、去年の親子と言うのは、、」「ハイソウデス」と、話しが早い。

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「フロータンの場所は路地の奥で分かり難し」

“フロータン”のホームページ
“フロータン”のFacebookページ
Atsushi Tanno PHOGRAPHY

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「丹野氏とオテチ2016年夏」
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「アータンとオテチ2017年夏」

さてさて、博多での用事を済ませると、ようやく”大九州一周”のライドをスタートさせる。
所謂”唐津街道”を通って行くのだ。唐津街道は、その昔、秀吉の朝鮮出兵の頃に活躍した道だから、ちょうど呼子の”名護屋城”まで繋がっているので、今日のライドに相応しい。福岡の市街を抜けると街道らしくなって来る。右側に海を望みながら西へ西へと進む。左側の緑は、夏の九州らしく濃い目だ。海の色は淡い色だった。沿岸を道路と鉄道が並走するのは日本に多い風景だし既視感がある。

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「糸島の辺り」
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「唐津湾の入り口で振り返ると糸島半島」

今日のライドにおいて、観光的な見所があるとするなら、なんと言っても”虹の松原”だろう。
虹ノ松原は、日本3大松原の中でもその規模においてはダントツに広く松の本数も多いと思う。知る限りでは長さで言うと沼津の千本松原が最長だと思うが、こちらは3大松原には数えられていない。
松林の真ん中を、約4kmに渡り車道が突っ切っている。自動車だとアッと言う間の距離だが、自転車だとその広さが実感出来る。立派な松林だ。

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「虹の松原」

虹ノ松原を抜けると唐津の街に入る。唐津城の城下町だ。
懐かしい、、。20代前半の若い頃、もう四半世紀前になるが、お侍が”時の太鼓”を叩くカラクリ時計を製作し設置した公園の現場があったのだった、、、と思ったら、まだあった!!
しかも、2015年の段階では現役で頑張っている様だった。
今では、バブルも遠い昔の事になりつつあって、その頃の仕事が残っている事も珍しくなった。
それが、現在も動く状態で維持管理されているとは、ちょっとした驚きだった。「やるな、唐津市。すごいぞ、唐津市。」当時、ヤングの自分としては、この現場に子供を伴って来る事になるとは、夢にも思わなかったし、感慨深い事だ。あれから25年かと思うと、ずいぶん歳もとったし、時間の流れを感じたのだった。果たして、オテチはどう感じたのだろうか、、しかし、反応は薄かった。
まあ、オテチにしてみれば、ここまでの疲れもあるし、だんだんと強くなる向かい風に辟易しつつある頃だったから、急にそんな事を言われても考える余裕は無かったのかと思う事にする。

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「唐津城」
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「唐津北城内児童公園にある”時の太鼓”」

“時の太鼓”ストリートビュー

唐津の市街を抜けた。唐津の西側の半島(東松浦半島)をまわり込んだ先が呼子の町になる。東松浦半島は、丹後の雰囲気に似ているだろうか、残りの距離は20kmも無い。本来なら1時間で着くと言いたい所だが、向かい風が吹き、オテチは疲れてしまって足が回らないようだ。時刻は17時、実を言うと”呼子のイカ”には18時と言うタイムリミットがあった。当初、楽勝ムードで余り気にしていなかったが、どこで時間を使ってしまったのか、いつの間にかギリギリになってしまっていた。焦る。下手をすれば”イカ”が”パン”になりかねない。オテチにムチを入れようとするが、眼が”無理”と言っている。開き直ってソロソロとコンスタントに行き、やっと呼子に着いた。途中、”アータン”お勧めのパワースポット”七ツ釜”を見物するつもりだったが、スルーせざるを得なかったのが残念だ。時刻は18時ちょうど、とりあえず宿に着いた。”イカ”には、遅参だと思っていたが、”イカ”のオーダーストップは正確には18時30分で、辛うじてセーフだとの事だった。とるものもとらず、再度自転車にまたがり、大急ぎで近所の”河太郎”と言うイカ屋に向かったのだった。

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「呼子を目指すオテチ」
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「呼子に着いた」
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「呼子、河太郎」
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「河太郎にて、イカ3杯で2人前」
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「お約束のゲソ天」

“イカ定食”お二人様で5千400円也、、、って「高いやんか、」幸か不幸か、オーダーストップに間に合ってしまって、ふたりは”呼子のイカ”を堪能した。まあ、今回のツアーの裏テーマは”九州の食”だから仕方ない、、。もう来年はふたりで旅をする事も無いだろうと思い、思い切って張り込んだのだった。

たらふく食って、復活したふたりは宿に帰り、風呂に入り、洗濯をし、散歩をして、そして長い一日を終えたのだった。ワリと疲れた。

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「呼子の夕日」
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「洗濯物は部屋干し」
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「レトロな町、呼子」

本日のグルメ
昼食、“フロータン”のカレー
夕食、“河太郎”にて”呼子のイカ”

本日の宿
呼子、ビジネス旅館 富士屋
素泊まり4000円ちょっと、部屋は座敷で広かったので良かった。

本日のライド
80kmくらいか、、坂はほとんど無し。

つづく

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2016(回想)

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2016
Otechi ride to Minami_Oguni Kumamoto Japan
Go Go West! “CHANOKO”

一般的に、”父息子、親子による自転車の旅”と言えば、世間的には美談っぽく受け取れると思いますが、我が家のソレは、その実そんなにキレイな話では無いのです。渋る子供をナダメてスカし、そして最後は半ば恫喝するようにして、無理矢理ひっぱり出して連れて行くのが通例となっている、それは”可哀想な物語り”なのです。

息子の名前は”てつたろう”と言います(以後は、私がつけたあだ名の”オテチ”と呼びます。”オテチ”は、今回のツアーをした2016年8月の時点で12歳と4ヶ月の小学6年生です。行く先々で出会うオトナの方々はオヤジに気を使ってか、”オテチ君”はたまた”オテチちゃん”とかと呼んでいただくのですが、本来なら”テチ”と言う所を丁寧に”オ(御)”をつけているので敬称は不要なのでした。
“オテチ”と”ツヨシ(私)”が一緒に自転車旅行をするのは、今回が2回目です。昨年(2015年)は、大阪から東京まで5日間かけて走りました。ルートは、淀川を遡上しびわ湖をかすめ、中仙道から木曽路へ入り、野辺山、そして秩父を経由して、東京に至る約640kmの道程でした。ルートがルートだけに、獲得標高もそれなりにあって、暑い最中<、ペースも思う様には上がらず、毎日早朝から夜にかけてヘトヘトになるまで走った思い出があります。

MEMO
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前回の情報は以下に、それ以前は最後にまとめました。

2015年度版リポート

Rapha stories
英語版
http://pages.rapha.cc/stories/biwakoguma-osaka-to-tokyo
日本語版
http://pages.rapha.cc/ja/stories-ja/biwakoguma-osaka-to-tokyo

tsuyoblog
Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015 全13話
第一話
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話
第七話
第八話
第九話
第十話
第十一話
第十二話
第十三話

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それは、オテチにとってさぞかしツライ出来事だったに違いありません。そして、たぶんこの事がトラウマになったと思います。この”初の父子ライド”は、なんとか成し遂げる事が出来ましたが、それ以後、自転車の事を持ち出すと、オテチの心は不安定になり、父と子の関係はギクシャクしておりました。反抗期と言うほどでもありませんが、父親を完全に避けていたと思います。「オトーサン嫌い」と言う言葉を何回と無く聞きました。しかし、そこは親子ですから、オテチもツヨシの”一度言い出したら聞かない”と言う性格の事はよく分かっていましたし、我が家にとって、自転車による”サマーツアー”は、もはや稼業とも言えるものになっているのでした。それから時が経ち、春が過ぎて、夏に近づき、いよいよその時が迫る頃になると、オテチは、どうしても抗えない自身の不幸な運命の境遇に身悶えして、時には落涙するのでした。
そんなでも、たまに一緒に入浴した折などには、ツヨシは恫喝を交えて同道する決断を迫って来ます。そして、夏休みに入り、梅雨が完全に明ける頃には「今年は、大阪から熊本まで行くでー、覚悟しろよ」とリアルに迫られていたのです。そして、そのプレッシャーに屈する形で「1日100kmくらいなら、なんとか、走れるかも」と、とうとうオテチは言質を取られてしまうのでした。さらに畳み掛ける様に「そやなー、大体100km+-30kmかも知れないけど、去年よりはマシと違うか、知らんけど。悪い様にはしないから、オマエはガタガタ言わんでも黙ってついて来たらエエんやー」と押し切られてしまいました。そんな調子だから、オテチは練習どころか、この1年近く件の”オテチBike”には、触れる事すらせず、”オテチBike”は去年東京まで行ってそこで降りた状態のままに放置している始末なのでした。さらに悪い事に今年のツヨシは珍しく忙しかったので、自転車の放置はさらに続いていました。「さあ大変な事になった。」結局、出立の数日前に”オテチはとうとう一年ぶりにMyBikeにまたがった”と言う有様なのでした。「マジかいな」を地で行く話しだし、当然の事ながらポジションは合いません。なぜなら、オテチは、去年旅をしてからこの1年で12cmも身長が伸びていたのです。出発直前の測定では162cmありました。小学6年生としては大きいと思います。

「一年で12cm伸びよった」

“12cm”、単純に考えると5、6cmサドルを上げたら良い事になりますが、自転車はそんなに単純なものでもありません、小さいフレームにとっての5cmは長大なのです。今更フレームをどうこう出来るタイミングでもないので、部品での調整を試みました。ハンドルを有り合せのステムで20mmほど前へ出して、かつ、サドルに合わす形で少し高くしました。クランクの長さは、当初からの155mmで変更はしませんでしたが、それはコストと納期の問題が大きいです。サドルは去年使用した子供用のままで良いと判断しました。結果、どうでしょうか、試走の様子を写真で見る限り、人車の収まりは良い様に見受けられましたし、ペダリングも”まあまあ回せている”ようです。ひょっとすると今がベストフィットに近いのかも知れないとさえ思え、内心ホッとしました。オテチのフレームは、身長が150cmから160cmでの使用を想定して設計したのですが、オテチがその正しさを実証するのでしょうか。私達の一連のツアー事は、ツヨシ自身の自転車作りのテストの場でもあるのです。

「たく、、ちょっとは楽しそうにしろよな。」

 

「ちょっと小さいけど、まあ良しとしよう。」

しかし、まったくの1年振りにもかかわらず、一回だけ試走して”練習無しのぶっつけ本番”で遠出をさせるとは、大胆にも程があると思いました。でも、それはツヨシ自身にとっても同じ事でした。この1年、自転車には、ほとんど乗れずにいましたし、月間の平均走行距離などは、100kmにも満たなく、ましてや体力を積上げる様な練習はまったくしていませんでした。体重の増加は、もはや絶望的なレベルに達していました。ただ、週2回程のジョギング活動などで体調の維持には努めていましたから、子供に伴走するのには必要な心肺機能だけは辛うじて保っている状態でした。結局、父子共々準備不足の点では”どっちもどっち”なのでした。さて、そんな事だから出発前夜はさらにバタつきました。この土壇場で、「テールライトがどっか行った!!」だとか「・・・・が壊れてるで!!」「なんで今頃言うねん!!」っと言った具合でケンカです。なにもかもが”無い無い尽くし”だったから、我(々)ながら呆れるしかありませんでした。その他には、「ふたりともジャージが着れて良かった、、セーフ!!」的な話もあって、オテチは縦方向に、ツヨシは横方向に、それぞれ身体のサイズの事で肝を冷やしたのであります。その他の不備は、書き上げると驚くほどの数になるので、割愛します。しかし、「コレくらい大胆でないと達成出来無い様な事をしているのだ」と前向きに考える事で心の平安を保っていたのです。所詮、完全な準備などは無いし、「少し荷物が多いだけで、滋賀の近所を走るのと本質は変わらないのだ」「遠い近所に出かけるのだ」と開き直ったのです。

「なんとか”出発”にこぎつけた」

さて、今回のライドのあらましを説明します。
今年(2016年)は、春に九州で起きた震災などの事で、イロイロ思う所もあり、大阪を起点にして、主に四国を走り”熊本”を目指す事にしました。
昨年は、大阪から東京を走りましたので、今年、大阪から九州へ走って行く事で、東京から九州までの”切れ目の無いグランドツーリング”のロードマップを更新する事が出来るのです。行く先々ではSNSなどで知り合った方々とリアルに会って友達になって行くのが楽しみなのです。旅のゴールは、熊本県南小国町の”茶の子”さんです。理由は後述します。そこからの帰路については、博多に出て新幹線を使う事を予定しています。

「GO GO WEST!!」

過去、数年数回に渡るサマーツアーの試行錯誤と実績から、先ず泊まる所は完全に確保するのが「結局気分が楽」だったので、出発に先立ち、先ずは目的地及び宿を設定しました。そうすると「もしも、トラブルなどでその日の内に到着できなかったら先々どうしよう、、、予定が狂う。」と言うプレッシャーは常にありますが、しかし、今までその事は尽く杞憂に終わっていました。その日、泊まる所さえ確保しておけば、”這う這うの体”でも宿にたどり着く事さえ出来れば、入浴そして睡眠をとってリセットできますから、翌日もそのまま旅を続けられたのです。

全行程の走行距離は、地図データの積上げ単純計算で683kmになりましたが、メーターによる実際の走行距離はもう一割ほど長く、700kmを少し越えました。蛇行とか寄り道などが加わるからです。
獲得した標高の精度は参考程度と思われますが、相対的な比較の材料にはなりますし、当らずも遠からずです。
データから見ると3日目の愛媛県瓶ヶ森林道、そして5日目の九重連山越えがツラかった事が見て取れます。
去年(2015年)の東京行きのデータと比べると、一日の平均の走行距離は短いものの、むしろ登りのボリュームは増しています。印象としては、暑さの事もあり”タフなライド”だと思います。でも、オテチを騙した訳ではありません。体が大きくなって体力がついたのだから、ルートがよりタフになるのは”当然”の事だったのです。単純に”距離云々”と言う話しではなくて、「オテチにとって去年と比べてどうだか」と言う心身の相対的な切り口での比較なのです。では、、、どうだったのでしょうか。
まあ、「すまんな、オテチ、許せよ。」と言っておきます。
さてさて、我々親子はどこでどんな冒険をして来たのでしょうか。

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1日目、8/1(月)
滋賀の家を出て、始発のJR線に乗り輪行で大阪に向かう。
大阪駅で自転車を組み立てて和歌山港を目指す。
和歌山からはフェリーに乗って徳島へ、四国に渡る。
徳島市内に宿泊。

Memo
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走行ルート、大阪-和歌山-徳島
http://yahoo.jp/00Sa9m
距離74.8km、獲得標高194m
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・出発の朝
ライドの旅は、去年と同様に大阪から始めます。早朝5時前に起きて、大津市の自宅の最寄駅からJRの始発列車に乗って大阪駅を目指しました。結局、昨晩は準備に手間どって、2時間程しか寝られませんでした。オテチも興奮したのか4時間程しか寝ていないと思います。

「最寄のJR線の駅から大阪に向かう」

大阪駅までは列車を乗り継いで約1時間かかりますが、夏休み中盤、通勤客とレジャー客が入り乱れて込み合う新快速の車内では着座する事は出来ませんでした。例によってピチピチの自転車ジャージ姿に雪駄履きの我々は、車内で完全に浮いた存在でしたが、まだ汗臭くないので、やがて周囲がその姿に見慣れると車内の雰囲気に溶け込み誰も気に留めなくなりました。車内でオテチに、イロイロと話し掛けましたが、モジモジしているので「どーした、調子が悪いのかー」と聞くと「頼むから、もっと小さい声で話して、、」と言うのです。田舎っぺのオッサンは標準より声が大きいのでした。そして、こう言う事が恥ずかしいのは正しい田舎の子供の姿やな、と思いました。

「大阪駅」

列車を降りると大阪駅の構内で自転車を組み立てて、いよいよ今回の自転車の旅が始まりました。いや、重要な儀式があるのです。自転車のアパレルメーカー”Rapha”の大阪店”CCOSK”の前で写真を撮らなければなりません。昨年は、紆余曲折があり、旅の取材をしていただく縁で大阪の”CCOSK”と東京の”CCTYO”を結ぶ旅をしましたから、旅の起点は”CCOSK”の前でした。そして、今年はその”CCOSK”から博多を旅する事で、東京から博多を切れ目無くライドした地図が完成すると言う目論みです。まあ、オテチにとって起点の話などはどーでも良い事かも知れないですが、そこは”ケジメ”なのです。早朝で留守の”CCOSK”前で写真を撮り、メーターをクリアしてライドがスタートしました。ふたりは大阪の街を南下して行きました。

「この旅の起点 Rapha Osaka」

・TKCに寄り道
今回の旅では、本当に多くの方々のお世話になりましたが、TKC Productionsのモリモトテイスケ氏には、氏のお古のシューズをオテチに頂いていました。お下がりとは言え、Rapha社の高級シューズだったので、ツヨシのシューズの5倍以上の価格は、小学生には過分とも思えましたが、ありがたく頂戴しておきました。実を言うと、このRaphaのシューズは、ツアーに先立ち自分も買う気満々で試着をした事が有りましたが、その余りの甲高な足の形のせいでストラップが全く届かないと言う悔しい思いをしていたのでした。この様なシューズを履ける欧米型細身の足型をGIRO足と言うらしいです。恨めしく思いました。そしてさらに、TKCの商品である”PDWビンドル・ラック”をふたりにそれぞれ提供していただいていました。それは出発に先立って弊社製品の”TKCタコのバイクラック”とバーターしていたのです。

「PDWビンドル・ラック」
「TKCタコのバイクラックを製作」

“PDWビンドル・ラック”についてはTKCのウェブページに詳細の記載があり、販売もされてます。

Memo
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TKC Productions
http://www.tkcproduction.com/
PDWビンドル・ラック販売ページ
http://www.tkcproductions.jp/?pid=102454600
PDWビンドル・ラック取付のレポート
http://www.tkcproduction.com/blog/2016/06/pdw_6.shtml
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“PDWビンドル・ラック”をどう言う物か一言で言うと、サドル下に吊った荷物を下支えする”ラック”で、昔ながらのキャリア程は大仰で重くはなく、どちらかと言うと補助的な器具です。簡単に付け外しする事も出来るので嵩張らず輪行の時などには重宝します。我々は、取り付け向きを前後180度変える方法で輪行に対応しました。このラック方式は、容量の増減に対してフレキシブルに対応できます。ただし、荷物が大き過ぎたり重すぎたりしてオーバーロード気味になるとハンドリングに影響が大きく出る様なので注意が必要でした。それは、キャリアと共通の物理的悩みですが、剛性の問題でしょうか、その度合いが大きく、その点では固定式キャリアに分があると思われます。別途追加のストラップ等を用意して荷物の固定を強化するとハンドリング特性の悪化はかなり緩和出来ます。まあ、ラックにせよキャリアにせよ過積載は禁物と言う事です。しかし、ラックは手軽さと軽快さが良いのです。ハンドリングの影響を少なくする為に、ハンドルバッグ等で荷物を分散し前後の重量バランスをとったらどうかと思っています。
ともあれ、暑い最中リュックを背負って背中が蒸される事を思えば、今回”PDWビンドル・ラック”のおかげで随分と身体は楽をさせてもらったと思いますし、テイスケ氏のアドバイスに従い防水バッグを使用していましたので、道中何度か大雨にも降られましたが、荷物の中身は濡れませんでした。今回の旅の範疇では目立ったトラブルも無く上々の結果だと言えます。
そのTKCの事務所が、大阪市内にあるので、南下の途中表敬訪問の為に立ち寄りました。早朝なので留守を予想していましたが、以外にもテイスケ氏は事務所でPCに向かっていました。彼のSNSでの一連のビール投稿などから、勝手に”彼は夜型人間”と決め付けていましたが、本当は朝型なのでした。失礼をいたしました。テイスケ氏と自分は、同世代なので、朝型である理由はなんとなく分かる気はしますけどね。テイスケ氏は我々を激励し送り出してくれました。ありがとうございました。行って来ます

「TKC Productionsにて」

大阪市内から和歌山へは、旧国道26号線を南下して行きます。右手は大阪湾で海が近い筈ですが、それは見えず、山影も遠いです。特に特徴の無い郊外の道が延々と続き、楽しい要素はありません。消化試合的な雰囲気です。正直、あまりサイクリングには向かないルートだと思えました。初日、折からの運動不足と暑さに加え信号の洗礼を受けて、ペースは全く上がりません。遅々として進まないのであります。8時過ぎにTKCを出てから30kmを走るのに2時間近く掛かりました。そして、10時過ぎにようやく岸和田までやって来て、寄り道をしました。

「岸和田の日泉ケーブル」

・日泉ケーブルでゴチになった
岸和田に”日泉ケーブル株式会社”と言う工場があります。
ある日、ひょんな事で社長の佐土谷氏と知り合いになり、今回のツアーの通り道だという事で、表敬訪問をしました。日泉ケーブルは、自転車のケーブル製造専業メーカーと言う事です。この様なニッチな業種の製造の現場が、今の日本に残っている事に正直驚きましたし、リスペクトもしていましたので、「ぜひ製造の現場を見学させて下さい」と頼んだのでした。そして、今回のライドのスポンサーでもあるのでした。製品であるケーブルガイドを提供して頂いていました。

「バイクに合わせて緑のケーブルガイド」
「工場見学」
「ケーブルの破断試験」

工場では、佐土谷さんがご一家で出迎えてくれ、工場内を隈なく案内して頂き、そして昼食をご馳走になりました。こう言う時、オテチは迷わず”ウナギ”なのでした。

「ウナギ好きのオテチ」

大阪から岸和田までおよそ30km、岸和田から和歌山港までの残りは、あと40kmほどです。和歌山港を16時過ぎに出航するフェリーに乗る予定ですので、お昼過ぎ頃に岸和田を発てば、まあゆっくりと間に合う算段です。激励され、そして岸和田を後にしました。ありがとうございました。行って来ます

「ありがとうございました」

Memo
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日泉ケーブル株式会社
https://www.nissen-cable.jp/
材質やカラーに拘って、スチールなどの旧車等によくマッチする製品もお作りになっています。
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さて、あまりにも久しぶりのライドと猛暑のせいで”残りの40km”が、”なかなか進まない”のであります。まあ、この事は、ある程度予想していた事とは言え、”少し走ってはコンビニ休憩”を何度と無く繰り返しました。

「暑い」
「暑い厚い」

大阪府と和歌山県の県境の”孝子峠”と言う、標高が、わずか100m程しか無い”丘の様な”本日唯一の峠にも身悶えし、文字通り”這う這うの体”で和歌山にたどり着いたのでした。

「南海電車」
「孝子峠」

和歌山港に着いた時には、もう15時をとうにまわっていたので、パンクなどのトラブルでもあれば、遅刻したかもしれません。少しヤバかったのです。

「紀ノ川」

ともあれ、ココまで来れば、もう安心です。後は船旅で徳島港にダイレクトに上陸して、今日は、徳島市内で寝るだけなのです。乗船切符を買いました。自転車は、バラして輪行の状態にすれば、手荷物料金は掛からないと言う情報は承知していましたが、徳島港で再度組み立てるのが億劫だったので、その点はお金で解決してしまいました。徳島港までは、およそ2時間の船旅です。

「和歌山港フェリー乗り場」
「フェリー内では車両の扱い」
「紀伊水道クルーズ」

Memo
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和歌山と徳島を結ぶ南海四国ライン
http://www.nankai-ferry.co.jp/
旅客運賃 大人2,000円 小学生1,000円
その他、特殊手荷物運賃として、
自転車は、一台700円が二台分で1,400円
南海フェリー7便 和歌山港発16:25 徳島港着18:30
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・徳島ナイト
徳島県に上陸した我々は、徳島市の中心を目指すのですが、自転車乗りとして徳島まで来て素通り出来ないスポットがあるので、ちょっと寄り道しました。”シオカゼストア”と言う自転車ショップです。スポーツサイクルのショップと言えば、ロードバイク一辺倒なショップが多いですが、ここは、田舎(失礼!!)では珍しく、シングルギアとかオフ系のアメリカンブランドも多く扱っている”カルチャー系(?)”の、”ただ今急成長中の注目ショップ”です。当時の時点で、ショップのスタッフは若いふたりの”ユウキ”でした。スタッフの方のユウキは、”ゴリ”と言うハンドルネームで、それぞれ役割分担をして活動しているようでした。

「徳島、四国に上陸」
「徳島市」
「シオスト」
「ノス、オテチ、店長、ゴリ」
「ノス、オテチ、店長、ゴリ」

Memo
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シオカゼストア
http://shiokazestore.jugem.jp/
https://www.facebook.com/ShiokazeStore-148535828625135/
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市街を走り、宿へ向かいました。徳島と言えば”阿波踊り”ですが、お盆に向けて練習をしているのか、あちらこちらで”ドンチャドンチャ”やってました。徳島での宿泊は、駅前の古い観光ホテルの和室で、お世辞にもキレイではありませんでした。素泊まりで、ふたり一室で8,000円ちょっとでした。探せば他にもっと安い宿もありますが、新しい目のホテルだと自転車の館内持込を拒否される事もありますから、こう言う古いローカルな所を狙っています。聞く所によると。徳島市内では、阿波踊り期間中の特需対応の為にホテルが供給過多で、それ以外の期間では慢性的に部屋余り状態だという事で市内全体がガラガラのイメージでした。
洗濯を兼ねて食事をしに外へ出ました。コインランドリーで、居合わせたオバサンに美味しい店を訪ねましたが、「この辺は歩いて行ける範囲には何も無い」と一蹴されてしまいました。さらに、「徳島ラーメンはどうですか」と食い下がったのですが、「あんなものどこが美味しいのかねー、ただのラーメンやで」と取り付く島も無い感じで、徳島市の印象を決定付けてしまったのです。まあ、その後洗濯待ちの間に入った、向いの居酒屋の”モモ焼き”は美味かったので、差し引きトントンって感じです。洗濯終了後、宿に帰っておとなしく寝ました。

「本日のお宿」
「徳島は鶏が名物?」
「洗濯は毎日する」

 

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2日目、8/2(火)
徳島市から吉野川沿いに西へ。
吉野川、中央構造線沿いに三好市、四国中央市と進み、西条市を目指す。
西条市内に宿泊

Memo
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走行ルート、徳島-三好-四国中央-新居浜-西条
http://yahoo.jp/oHEI4B
距離139km、獲得標高834m
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・伊予街道のち撫養街道そして讃岐街道
今日は、愛媛県の西条市まで行きます。朝、部屋で、昨晩コンビニで買っておいたパンを食べ、慌しく7時過ぎに宿を立ちました。

「徳島の朝」

徳島市からは、吉野川沿いに真っ直ぐ西を目指します。最初は吉野川南岸の伊予街道(192号線)を行き、途中で北岸の撫養街道にスイッチしました。

「吉野川」

それにしても”撫養”って読めませんよね、”むや”と読むらしいです。その昔、まだ瀬戸に橋が架かって無かった頃、関西から高知へ行くのにはこの路を通ったもので懐かしかったです。伊予街道は国道で堤下の道路です。平坦なのですが、殺風景な上に向かい風で、ドラフティングがヘタクソなオテチは遅れ気味になり、そして、すぐに心身が折れました。それでも2時間ほど走り、風を避ける為に、川幅が狭くなった所で川を渡って北岸を走る撫養街道を行く事にしました。こちらは比較的景色が良いですが、小さな起伏があって結構脚を使います。弱いオテチは、またしても遅れ気味になったのでした。そして、とうとうオーバーヒートして止まってしまいました。時刻は11時、出発から60数km来た所にある”道の駅三野”で早めの昼食を食べる事にしました。今日の予定では、走行距離は140kmなので、比較的イージーな午前中ルートの半分を消化出来なかったのは誤算ですが大事をとりました。「オえっ」と言いながらも無理やり飲み食いさせると、オテチは少し回復しました。

「吉野川は中央構造線上を流れる」
「いっぱい食え!!」
「社会勉強もする」
「まあ、休憩」
「旧池田町」

池田で吉野川に別れを告げ、さらに西を目指します。県境の峠まで9kmで200mほど登ると愛媛県です。結局、香川県は通りませんでした。峠のトンネルを抜けて愛媛県に入ると、残りは50km程なので後は消化試合的になりました。時刻は14時、坂を一気に下ると川之江(現四国中央市)です。そこからさらに西へは旧讃岐街道を行きます。旧道は、国道筋と違って道幅も狭く自動車も少ないので、遅いペースだと走り易いです。お寺とか道標があり街道の往時を忍ばせる味わい深い路を、ふたり馬首を並べて快適なサイクリングが出来ました。途中小さな丘を越えると新居浜市で、そして程無く本日のゴールである西条市に着いたのでした。

「192号線」
「愛媛県に入る」
「街道からのながめ」
「街道を行く」
「讃岐街道の一部は商店街を通っている」

・西条ナイト
日没間際に宿に着くと、先ずはツアー中お決まりの洗濯をしました。今日の宿は、所謂”働く人の宿”で、泊まっている人は、近くの港湾の労働者か、工場の関係者が多いです。こう言う宿は融通が利いて対応がフレキシブルなので居心地が良いのです。風呂は、宿のオジサンに勧められて、宿の内湯ではなく近所の温泉施設に行きました。「提携しているから」と入浴チケットを2枚もらって、再び自転車にまたがり風呂屋を目指すのですが、それが意外に遠くて3km近くあり閉口しました。しかし、ぬるめ湯は一応”ホンモノの温泉”だという事で、やたら広い湯船で存分に長湯をしてその日の疲れを取る事ができたので良かったです。風呂屋の帰り路、回る寿司を奮発し、さらに気分を良くしたのですが、忘れ物に気付いて、風呂屋までの夜道をもう一往復して汗だくになると言うオマケまでついたのでした。ゲロゲロ

「温泉でリフレッシュ」
「和室が良いな」
「働く人の宿」

 

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3日目、8/3(水)
西条市から南に進路をとり、加茂川伝いに石鎚山脈へ登る。
寒風山登山口から瓶ヶ森林道で石鎚山脈の尾根を渡り石鎚スカイラインを降りて久万高原方面から砥部を抜け、松山に至る。
松山市内に宿泊

Memo
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走行ルート、西条-寒風山-瓶ヶ森-久万高原-松山
http://yahoo.jp/UXipyh
距離142.7km、獲得標高2743m
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・恐怖、194の悪夢
今回の旅は、図らずも”中央構造線”を辿って熊本に至ると言う、ちょっとタイムリーな事(地震)になってしまっているのですが、走り易い路をなぞった事意外に、特別な意味はありません。そこで普通(?)に讃岐街道伝いに行けば、西条から松山までは50kmにも満たないのです。それなのに、なぜワザワザ遠回りまでして松山で一泊するかと言うと、今晩松山で合コンが控えているからです。詳しくは後述しますが、松山には、早く着き過ぎても、遅く着き過ぎてもいけないのです。ですから”瓶ヶ森林道、別名UFOライン”を見物して行く事にしました。オテチにはないしょの企画です。可哀想過ぎますよね。
宿を出て、進路を南にとりました。山を登って高知方面を目指します。国道194号線を行くのですが、これは四国山地、石鎚山脈を正面からまともに越えていく道なのです。UFOラインはその石鎚山脈の高知県側の尾根伝いに伸びています。吉野川及び仁淀川の源流地帯と言う事です。

「石鎚山脈を望む、あそこまで行くの、、」

予定している最高到達標高は、46.7km地点の標高1690mです。宿の標高はほぼ0mですから大変です。午前中はずっと登り続ける算段です。194号線をダラダラとしかし確実に標高を上げて行きます。18km地点に湧き水があり休憩をしました。そこで、些細ですが、しかし”重大な事故”が発生するのでした。そこで国道筋から旧道の峠道に逸れて寒風山隊道を目指すのですが、旧道は大変な山道だと言う事で、予め大事をとって虫除けスプレーを用意していたのです。休憩をした時にお互いがスプレーをかけ合っていました。そして、その時手が滑り、過ってスプレーのビンを割ってしっまっていたのです。今思えば痛恨なのですが、この時点では、大して気にも留めず、まさかそれが生命をも危うくする事態だとは思いもよらない事でした。

「湧き水は助かる」
「地獄への入り口」

狭い旧道の峠道に入ると、道路の表情が一変しました。道路脇の雑草が鬱蒼と生茂り、行く手を遮ります。掻き分けるようにして進むと、程無く黒い虫が飛んで来て身体にとまりました。「ハエ?」と思った次の瞬間、躊躇無く”ブスっ”とやられました。”チク”ではありません「あ゛」ともつかない声を上げて振り払うのですが、すぐにとまり直して攻撃して来ます。もちろんオテチもやられています。「アブって人間刺すんか!!」先程の虫除けスプレーなんか、汗で流れて全く効いていません。普段の生活の中では”刺すのは蚊か蜂”と相場は決まっていて、自転車に乗っている時に刺される事はそうそうはありません。蚊なんかは飛翔力が無いので追いすがって来てまでは刺されないのですが、アブは手強いと知りました。「だいいち家の近所には居ないでしょアブ、、滅多には、、、。」注意して見ると、行く先の道路上に点々と、そして我々ふたりの周りにはブンブンと、アブだらけの道です、、「ヤバイ」、ほぼ無数のアブに包囲された形なのでした。観察によると、奴らは駆け足以上のスピードになると追撃し難くなるなるようですが、アブ濃度は進むほどに増して行き、枯れる事がありません。そして、一度取り付いてしまえば悠々と刺し、そして血液を貪るのです。悲鳴を上げるオテチの背中を押して速度を上げようとするのですが、トンネルまでは10km以上あって600mアップの上り坂だし、すぐに力尽きてしまい、かえってスピードダウンしてしまう始末でした。それでも「助かるには漕ぎ続けるしかない」状況なのでした。もしも、立ち止まってしまえば、本当にアブの餌食になってしまうかもしれません。「親子で動物の餌になるなんて、、」ましてや、昆虫に思うままチュウチュウされてしまうなど、人間の尊厳として断じて許容できないのであります。自分とオテチ、体中にビッシリととまったアブは、もはや”振り払う”などと言う甘い事は言ってられない状況なのです。「オトーサン助けて、、」「そう言われてもコッチも忙しいにゃで、、」もう自分の事はあきらめて、半泣きのオテチに集中しました。オテチに群がるアブを掴み捕り、そして握りつぶし続けました。血を吸うのに夢中な奴らは、逃げると言う事を忘れているかの様に容易に掴み捕る事が出来ました。一度に4,5匹は殺れたと思います。”千切っては捨て、千切っては捨て”手はアブの体液と残骸まみれになりました。無限とも思われる時間が流れ、夥しい数のアブが死にました。その間、オテチは悲鳴を上げ続け、ツヨシは血を吸い続けられたのです。我ながらよく戦ったと思います。オテチの被害は思いの外少なく、対照的にツヨシは全身隈なく刺されまくったのでした。そしてついに寒風山隊道の入り口が見えたのです。「ヤッター」と喚声を上げながら、照明の無い真っ暗なトンネルに飛び込むと、ホッとしたのも束の間、追いすがって来たアブに”漆黒の中でさらに刺され続けられる”と言う恐怖を味わったのでした。ワーワーキャーキャー言いながら、しかし、それもやがてトンネルを抜ける頃には止み、ようやくふたりに束の間の平穏が訪れた。と、その時は思ったのでした。

「アブは写りません、動くから」
「寒風山隊道高知県側出口」

Memo
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教訓
アブに虫除けは効かない。持って行くなら殺虫剤。
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「たいへんだったねぇ、アソコはそうなのよ、この先は大丈夫と思うよー」
寒風山隊道を高知県側に出た所に観光パーキングと茶屋があり、売店のオバサンが我々のアブとの死闘を労ってくれました。

「観光パーキングの茶屋」
「死闘の後で、、」

が、「この先は、、」と言うのは違う話でした。ここからUFOラインの尾根筋に向かって、さらに数km高度を上げて行きます。さっきと比べると勾配のキツイ坂をエッチラオッチラ登っていくのですが、、「居るやん、アブ、。」尾根が近づくにつれ、陽当りが良くなると”無尽蔵”的ではなくなったものの、確実にアブは居ます。アスファルトの上で、まるで日向ぼっこをするように我々を待ち、そして襲って来ます。よく見ると車に踏まれたのか、潰れたアブの残骸がいっぱい転がっています。「ざまあ見ろ!!」と溜飲を下げるのでしたが「鬱陶しいと言ったらありゃしない、」もうヘトヘトになりました。

「もうつかれた」

途中出合ったハイカーのオバサンに事情を話すと、随分と同情してくれて「私は自動車だから、」と言って、オバサンの虫除けスプレーをビンごと我々にくれました。「たすかった」と思ったのも束の間、アブの野郎に虫除けはヤッパリ効かないのでありました。

「オバサンが虫除けくれたけど、、ちょっと手遅れ」

もうまったく”泣けるお話し”ですが、しかし、驚くべき事に、通りかかった崩落復旧工事現場のオッサンは、そのアブのウジャウジャ居る道路脇に板を引いて、イビキをかいて昼寝をしているしているのです。”刺されない”のか、はたまた”へっちゃら”なのか、「ジッとしてるしかな、、ワイルドってこう言う事なんやな」男子たるものかくありたいと思うのでした。

「ワイルドとは」

・UFOライン
“瓶ヶ森林道”別名UFOラインは、石鎚山脈の東側から南へ、尾根伝いの高知県側で舗装された林道です。そこに至る道はアブ地獄ですが、一旦尾根まで上がってしまえば、視界が一気に開け、植生もガラッと変わるので、アブの野郎も居ません。

「”瓶ヶ森林道”別名UFOライン」
「左から登ってきて右へ抜ける」
「とにかく登る」
「山の天候は変わりやすい」

“爽快”とも言えるのですが、度重なるアブとの死闘で体力も底をつき、補給もままならず、楽しむ間もなく文字通り”這う這うの体”で尾根を素通りして、転がり落ちるように”山荘しらさ”と言うカフェまでやって来ました。オテチは、既にグロッキー寸前です。ここまでは、出発から約50kmで、あと行程の2/3近くのおよそ100kmを残しているのですが、この高い山の上で時刻は13時をとうにまわって昼下がりに差し掛かりつつあります。”松山では合コン”が控えているので、なんとしてでも夜までには着かねばならないし、ここで立ち往生する訳には行きません。”非常にマズイ”事態になりつつありました。気は逸り焦燥感はつのりますが、とりあえず落ち着かければならないので、”しらさ”で昼食を食べるしました。そして、「カフェが開いていてホンマに良かった」としみじみと思ったのでした。このルートは都合の良い補給ポイントと言うものが全く無いのです。

「カフェしらさ、ここは高知県」
「しらさで昼食にありつく」

その松山での合コン相手と言うのが、”カヨウォンバット””ナオキテル””オッチーニ”(敬称略)の”3松山ローディー”なのですが、”カヨ””ナオキ”のふたりは、このツアーに先立って、このコースの下見をしてくれていたのでした。それはそれで心強かったのですが、自動車でのリサーチだったらしく、アブの観点からはマークが薄かったようです。「まさかココまでとは、、」一度彼女達にも味わって欲しいものだと思ったりしたのです。

「松山のローディー達」

石鎚山脈からは、石鎚スカイラインを降りて高度を下げて行くのですが、どっちも疲れてしまって、思う様に足が回らないのです。下りと言うのもなかなかに体力を使うものだし、少しの登り返しが登れず難渋しました。計画では久万高原町まで降りて、そこからもうひとふんばりして国道494号線で”黒森”峠を北へ越え、東温市を通り東から松山市に入るルートを予定していたのですが、「もう峠はご免だ」と言う事で、国道33号線で南を回り込む形で砥部町に出て南から松山市に入りました。

「峠はもうイヤやで」
「三坂の手前で大雨、踏んだり蹴ったり」

途中”三坂”と言う峠がありますが、今日登った一連の山岳越えからすると坂もゆるくて大した事はありません。三坂峠のトップから松山の市内までは、ほぼ下りで、暮れ馴染む砥部の町を生ぬるい風を切りスルスルと降りて行くのでした。「あーホンマニ疲れた、、ごめんよオテチ(心の声)」オテチは遠回りした事など知る由も無いのでした、、。

「松山市内まで後は下りのはず」
「砥部で日が暮れました」

・松山ナイト
松山でホテルに着くと、汗を流し着替えて直ぐに例の”3松山ローディー”と合流して”合コン”会場である近くの居酒屋へGOGO、なんと親子でゴチになりました。「ありがとうございました」我々は、ライドでヘトヘトで、”ナオキテル””オッチーニ”は仕事でヘトヘトだったようです。男性陣はおとなしくしていましたが、紅一点の”カヨ”はパワフルだったのが印象的でした。「女はタフや、、」「平日なんでこのへんで、、」楽しい時間は早く過ぎますねぇ、励まされ健闘と再会を誓い宿へ帰りました。

「松山の3ローディーと」

さて、松山での宿は、元有名ホテルチェーンだったと言う比較的立派なホテルでしたが、予算をケチって、ふたりは一つのベッドで寝ると言う契約です。先に寝た寝相の悪いオテチに蹴られながら寝るのですが、痒くて痒くてたまらないのです。アルコールのせいでしょうか、鏡で見ると全身隈なく”虻の食み跡”が赤々と広がっています。”無数”、もう数え切れませんが、よくよく見ると、何かの模様になっている様なのです。そう、コレは”ジャージの柄”なんですね、、。赤と青のラインだとか、胸のハートマークが、食み跡でキレイに再現されているのでした。「虻は濃い色を攻撃するって本当やったんやな、、」それを身をもって証明したのでした。結局痒くて朝まで寝られなかったのです。しかし、オテチの野郎は平気で高いびきなのでした。「意外とタフなヤツやな。」

「バイクラックのあるホテル」
「よく寝よる」

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4日目、8/4(木)
松山市から伊予灘沿いの海岸線を西へ、伊方町を目指す。
佐田岬半島を走り、フェリー乗り場のある三崎港前に宿泊

Memo
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走行ルート、松山-伊予-大洲-八幡浜-伊方
http://yahoo.jp/sgwSJx
距離95.7km、獲得標高1006m
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「松山の朝」
「旅仕様」
「松山城」

・伊予灘
翌朝、松山を離れしばらく南下すると、程無く路は海沿いに出ます。この先は30km以上にわたり、迫る山並みを左に、伊予灘を右に見ながら、海岸線を線路と道路が寄り添うように細々と続きます。道路はワリと立派なのですが、線路は電化されておらず単線で、絵に描いた様なローカル線なのです。町と言うか集落がぽつぽつと点在していました。自分的には”われは海の子”のイメージは、こんな感じの景色なのですが、実際には諸説あります。ただ、日本の”津々浦々”はどこでもこんな感じですよね。好きな景色です。

「伊予灘」
「予讃線」
「海と道路、線路と山」

対岸の島々までは30km程の筈ですが、湿度が高く見えませんでした。途中、昨夜”ナオキテル”から聞いていた、瀬戸内の名物”ジャコ天”屋さんに寄ったのですが、「わかり難い」と言われていたその場所は直ぐに分かりました。この辺り、あまりにも何も無さ過ぎて見落とし様がありませんからね。店のオジサンに「松山で聞いて来た」と言うと気を良くしてか、ひとつづつオマケしてくれました。ありがとうございました。

「じゃこてんや下坂」
「オマケしてくれたよ」

Memo
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じゃこてんや下坂
http://jakoten.info/
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・佐田岬
それにしても今日は暑いです。雲ひとつ無く晴れ渡って紫外線が凄いです。アブの食み痕と日焼けで皮膚がただれボロボロになりました。湿度も高く暑さは尋常ではありませんでした。それに、伊予灘沿いはコンビニ等が少なくて思う様にクールダウンが出来なかったので、熱中症にならないのが不思議なくらいです。
お昼過ぎに佐田岬の根っこの八幡浜まで出て来て、ようやくコンビニ休憩にありつきました。午前中に走った距離はたいした事無いのですが、ふたりとも、もう完全に茹だってしまっていて元気がありません。この先は、”佐田岬”を行きます。”佐田岬”は、ひょろ長く豊後水道に30km以上も突き出していて、伊予灘と宇和海を分けて隔てています。陸地は一番細く狭い所で1kmもありませんので、途中尾根からは南北両方の海が見渡せます。予定では、伊方原発の辺りから、山陰になる岬北部の海岸線沿いのクネクネ道を通る予定でした。しかしその道が細く長い上にアップダウンが激しいので、残りの体力を考慮すると「ムリ」と判断して、岬のど真ん中の尾根をストレートに貫く新しい国道筋を通りました。交通量は多くありません。しかし、これはこれで曲者で、標高の高い所を通りますから、少ないとは言えそれ相応のアップダウンはあります。尾根伝いなので左右の見晴らしが良いのですが、おかげで炎天下の下で日陰も無く、風が強く遅々として進まないのであります。でも今日は、フェリー乗り場のある岬の先っぽまで行って宿泊するので、脚を使ってまでは急ぎません。数km置きにある”道の駅”の全てでいっぷくしながらボチボチ行きました。しかし、わずか100kmのライドがこんなにツライとは、、、今日は疲れました。

「全然進みません」
「佐田岬の尾根筋からの景色は良い」
「紫外線が強い」
「佐田岬」

岬の先っぽまで行って尾根からすべり降りると”三崎港”と言うのがあって、その夜はその港の桟橋前にある”すぎやま旅館”に泊まりました。明日はここからフェリーに乗って四国を発ち九州に上陸するのです。宿と言うか町全体が寂れた感じでしたが、宿のおじさんは若者に理解があるそうで、我々を応援してとても良くしてくれました。

「着いたー」
「食い切れん、、」
「明日あれに乗る」

Memo
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すぎやま旅館
https://goo.gl/maps/bjAayNXtbdJ2
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「旅館すぎやま」

 

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5日目、8/5(金)
早朝、三崎港からフェリーに乗って豊後水道を渡り佐賀関港へ、九州に上陸する。
佐賀関港から西へ走り大分に向かう。
大分からは大分川沿いに、JR九大本線と並行する形で由布院を目指す。
由布院を過ぎた辺りからやまなみハイウェイに入り南下する形で長者原、そして九重連山を越える。牧ノ戸峠を下り切ると再び西へ進路をとり南小国町に至る。
南小国町に宿泊

Memo
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走行ルート、佐賀関-大分-湯布院-九重-南小国
http://yahoo.jp/WICUU7
距離120.9km、獲得標高2013m
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・九州上陸
予定では、この旅のゴール設定は”茶の子(熊本県阿蘇郡南小国町)”さんでしたので、我々のサマーツアーとしては今日が最後のライドとなります。その後の予定は、出発の段階では未定でした。オテチにとっても”今日”を乗り切れば、”夏のお勤め”は、一旦終わるのであります。しかし今日は九重連山越えがあり、連日の疲れもあってなかなかの苦行の一日になる事が予想されます。
早朝、三崎港からフェリーに乗って豊後水道を渡りました。豊後水道の最も狭い所は、”関アジ関サバ”で有名な豊予海峡です。海峡の幅は約14kmです。

「佐田岬は風車だらけ」
「船は幻想的な霧の中を進む」
「佐賀関の漁船団」

渡った対岸は、大分市旧佐賀関町でいよいよ九州に上陸であります。ここはもう九州人の縄張りかと思うと感慨深いです。語尾には「~たい」を付けなければなりません。フェリーを降りて上陸すると、別府湾沿いに西へ大分市内を目指します。

「九州やっほー」
「大分県に上陸」
「佐賀関港」
「大分ヤッホー」

今日も朝から暑いです。平地ですが、疲れもありますので、ペースは上がりません。そうこうするうち大分川に突き当たり、左に折れ、そして川沿いの国道210号線豊後街道に出ると、湯布院に向けていよいよ本日の登りが始まりました。ダラダラとそして徐々に勾配が強くなる”真綿で首を絞めるような”登りに苦しみました。

「イヤでも食う」
「九大本線」
「由布院の道の駅にて」

ヘロヘロになりながら湯布院まで来て、ここで距離は60km少々、標高は600m弱です。本日の予定行程からすると、どちらも半分ほどです。しかし、時刻はすでに正午を回っていますので焦ります。ここから山向こうにあたる南小国町の”茶の子”までは、九重連山を正面から越えて行かなければならないのです。湯布院を過ぎると豊後街道から舵を切って”やまなみハイウェイ”を南進します。

「やまなみハイウェイの入り口」
「やまなみハイウェイ」
「やまなみハイウェイから九重連山を望む」
「飯田高原」

“やまなみハイウェイ”は、飯田高原、九重連山を突っ切って阿蘇方面に向かう観光道路です。路面はスムースで信号もほとんど無く、飯田高原から九重連山を臨む景色も雄大です。小さなアップダウンを繰り返しながらジワジワと高度を上げながら飯田高原のど真ん中までやって来ました。ここから10kmで450mほど登ると、本日の最高到達ポイントの”牧ノ戸峠パス(1330m)”で、後は南小国までの残り20kmは、ずっと下りのはずです。陽も傾いて最後のがんばりをしなければならない局面で、登板を前にしてオテチに泣きが入りました。今までも何度と無く衝突はして来ましたが最後と言う事で気が緩んだんだと思います。執拗にグダグタ言うのでこちらも大人気なく怒鳴り散らしてしまいました。「馬鹿やろう勝手にしろ」。気まずさが支配する中、硫黄臭のたちこめる坂をグイグイと登りました。オテチは、遠く小さくなりなりながらも後をついて来るようです。どうあがいても進むしかないのですから、仕方ありません。思い返せば、写真が少ない時と言うのは、大抵喧嘩して気まずい時なのでした。自分もまだまだメンタルが弱いのです。今にしてみれば、どの様な状況でも、心を鬼にして写真だけは撮らなければならなかったのです。「次は必ず」と肝に命じたのでした。

「つかれました」
「硫黄の臭いが立ち込める」
「牧の戸峠」
「閉店」

牧ノ戸峠のパスまで来ると、いつの間にかオテチも追いついて来ていて、ご機嫌も持ち直していました。夜の気配がそこまで近づいて来ていましたから、感慨に浸る事なく下山します。長いクネクネ道を降り切ると、そこはいよいよ熊本県です。このロードにしては、珍しく信号があり、旧小国街道に当るので右(西)に折れると今度は直線基調のこれ又長い下り坂が続きます。まあ、疲れている時って言うのは、脚を止めていても風がしんどいものです。いい加減もう下りにうんざりした頃に、ハッと気付けば”茶の子”の前まで来ていたのです。18時は回っていたでしょうか、牧ノ戸峠パスから約1時間、ずっと下っていた事になります。そして、ついに、茶の子の店主”松崎氏”と逢ったのです。松崎さんは、ご夫婦で我々の到着を待ってくれていて、イロイロと歓迎の宴を催してくれました。「ありがとうございました、からしレンコン美味しかったです。」

「茶の子」
「ゴール」
「からしレンコン」
「マツザキ氏」

・南小国町の”茶の子”
さて、どうして”茶の子”なの?と言う問いに答えなければなりません。
「こんど、熊本まで行こうと思うのだけれど誰を訪ねていったら良いのでしょう?」と、SNSで知り合った大阪の自転車乗りの友達のサガン氏に聞いてみたのです。彼は何度となく九州ライドをした事が有った様なのでした。曰く、「南小国町に茶の子と言うカフェがあり、店主のマツザキ氏はカリスマだから彼に相談しなければなりませぬ。南小国町と小国町は明確に区別しなければなりませぬ。知らんけど。」言う答えが返ってきました。”一を聞いて十を知る”です。検索検索、なるほど”茶の子”は九州北部のローディーの聖地である事。松崎氏は、むぎ焼酎二階堂のCMに出演していて”逢いたい人”らしく、同世代である事。5月の震災の後、客足が遠のいて売り上げが落ちてしまった事を日々嘆いている事。等が判りました。「よし、会いに行こう」ダイレクトにメッセージしました。「今度、大阪カラ熊本マデ走ッテ行クノデ泊メテ貰エマスカ?」無茶振りもエエところなのでしたが返事は、「OK、カンゲイスル」でした。彼も、”一を聞いて十を知る”種類の人だったと理解しました。でも、「料金ハイクラデスカ」と聞くのは、御好意にたいして失礼かと思い、「弊社製品ノバイクラックヲ贈ルノデ、宿代ニ充テテ下サイ」と返しました。ディールは成立したのでした。バイクラックは、ゴールに相応しい様にチェッカーフラッグと”CHANOKO”をモチーフにしたモノを作って出発に先立って送っておきました。そして、そのバイクラックにバイクをかける事が、今回の旅の目標になったのでした。
果たして無事にバイクラックにバイクをかけてゴールを果たしました。初めて会うマツザキ氏が近づいて来て開口一番「お疲れ様、”CHANOKO”の”N”の字が裏表反対やで、ワザと?」「おーまいが、、、勘弁してください。」これが最初の出会いだったのです。

Memo
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二階堂酒造 大分むぎ焼酎二階堂 「心をつなぐ-春夏-」篇
https://youtu.be/o5DraCnGnz0
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「お茶目なマツザキ氏」
「茶の子チームがあります」
「無事にバイクラックにかける事が出来ました」
「ホンマや、Nが裏返ってる」

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6日目、8/6(土)
安息日、南小国町を拠点にして阿蘇方面を見て周る。
南小国町に宿泊

・熊本2DAYS
泊めて頂いたのは、”茶の子”の隣の松崎氏のご実家です。つまり、彼のご両親のお住まいで、ビックリするような大邸宅のお座敷に2泊させていただきました。ありがとうございました。
次の日、お家の軽トラを借りて、震災後の阿蘇の町や、震源地の益城町の様子を確かめに行きましたが、やはり震災の爪痕と、その後の交通などへの影響は厳しい物があり、ふたりともズシッと重い気分で帰って来る事になりました。でも、実際自分の目で見て体験しないと他人の痛みも分からないし、知る事は大事と再認識したのでした。少なくともこの事がきっかけで、遠い九州の事をいつも気にかける様にはなりましたし、無関心が一番良くないと思っています。

「軽トラ借りた」
「阿蘇を望む」
「オテチ」
「熊本のお土産は、アベックラーメン」
「ソウルフード?」

さて、南小国ナイト。お風呂は、近所の公衆浴場に行くスタイルで、公衆浴場と言ってもリアル温泉です。この辺りはいたる所に温泉が湧いています。震災の後、その温泉の客足が途絶えて困っていると言う事らしいです。2日目の夜は、少し離れた”満願寺温泉”に行きました。”満願寺温泉”は”日本一恥ずかしい温泉”の異名があって、川湯は細い川を挟んだ海岸の道路から丸見えです。なんと、しかも混浴(内湯は別々)なので、ローディー各位のライド後にお勧めですが、決して仁王立ちしてはいけません。

「内湯は男女別」

Memo
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満願寺温泉 川湯
https://goo.gl/maps/K8MxevxTJ822
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7日目、8/7(日)
南小国町を発って博多方面を目指す。
日田を抜けて途中大宰府天満宮に立ち寄り、博多駅から新幹線に乗り滋賀に帰る。
走行ルート、南小国-日田-大宰府-博多

Memo
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http://yahoo.jp/vex9RGr
距離112km、獲得標高793m
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松崎氏には、大変なお世話になりました。無茶振りにもかかわらず、その”一を聞いて十を知る”レスポンスは打てば響くようで心地良いものでした。仔細は筆舌に尽くしがたいですが、これに懲りず末永くお付き合いいただけたらと思っています。
帰路については、震災の影響で通行止めだった日田街道方面が、迂回路で通行可能になったと言う事で、予定通り博多に向かう事になりました。
南小国を発つ朝、松崎氏は、案内と見送りを兼ねて途中まで自転車に乗って伴走してくれました。小国町や杖立温泉を観光?しました。知らなければ素通りしてしまったところでした。重ね重ねありがとうございました。再会を誓い、握手をして分かれました。

「マツザキ氏のおとっぁん」
「親子」
「小国観光」
「杖立温泉」
「蒸し湯」
「再会を誓う」
「この辺りは大分県」
「さようならー」

・帰路
松崎氏と別れた我々は、日田、うきは、朝倉と地上に降りて行き、現実へと戻って行くのでした。今日は博多から新幹線に乗って滋賀に帰るのです。博多方面は近く下り基調なので急ぎません。

「九大本線天ヶ瀬駅、絵に描いた様なローカル線」
「夜明ダム」
「筑後川」
「九州最後のゴハンはとんかつ」

標高が下がって来ると、やはり暑いです。バテ気味になっていると、途中、朝倉の辺りまで博多の丹野氏が迎えに出てきてくれました。オテチが来春中学を受験する友達に大宰府のお守りを買いたいと言うので案内してもらいました。博多に着くと、オプションだった、フレームビルダー原田氏の工房の表敬訪問をしました。丹野氏と原田氏は地元同士と言う事で意気投合したようです。その後、丹野氏には博多駅前の銭湯まで連れて行ってもらいお別れしました。

「丹野氏に導かれ」
「丹野氏とオテチ」
「大宰府に連れて行ってもらいました」
「原田氏と」
「記念撮影」
「九州の締めくくりは雨」
「また来ます」
「さよなら九州」

風呂で汗を流し、自転車を畳み新幹線に乗ると、どんどん現実へと引き戻されて行くのを感じました。あんなに「ひーひー」言ったのに、電車だとアッと言う間です。帰ってしまうと、オテチは夏休みの続きですが、コッチはイロイロあるのです。生活をしないといけませんからね、、。

「京都までアッと言う間」

今回の旅は”人に逢う”と言うのが裏テーマだったのですが、本当にたくさんの人に会いました。どの方にも無茶振りをして、大変なお世話になったのですが、”遠慮はしない”と決めていたので、他人の好意をむさぼる様に享受したのでした。
「もう二度とゴメンやから」と捨て台詞を残し母親の元に返って行ったオテチは、この旅をどう思ったのでしょうか、、。確実に言えるのは。”日本は広い””夏は暑い””世間のオトナは良い人が多い””オヤジは厚顔無恥で怒りっぽい”事をトラウマの用に心に刻んだでしょうね。何度も怒鳴ってやったし、、「でもな、”二度ある事は三度ある”と言うぞ、オテチ」

「湖西線にて」

おわり

MEMO
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2014年度版リポート

“GO!GO!EAST 2014”始末
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“GO!GO!EAST 2014”始末
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2013年度版リポート
“summer_tour_2013”始末、その1
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“summer_tour_2013”始末、その2
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“summer_tour_2013”始末、その3
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2011年度版リポート
Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 まえがき
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」1日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 2日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 3日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 4日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 5日目
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Tour de Japan 2011「東京へ行こう…。自転車で」 あとがき
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Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015(13)

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015
“オテチ”と行く大阪-東京“着のみ着のまま”の旅

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015(1)

7 August, 2015
2015年8月7日、金曜日、五日目

このツアーもいよいよ最終日を迎えた。東京を目指す。

8/7 秩父-東京
81.1km 437mUP
http://yahoo.jp/S8-RE4

ツアーのゴールは、予てからの宣言どおり“CCTYO(Rapha Cycle Club Tokyo)”を予定している。出発予定時刻は8時だ。到着時刻の目標は16時としているが、今までの実績から推察すると、そう難しい事では無いだろう。16時に“CCTYO”でオテチを母親に引き渡して、今回、このツアーでのツヨシの仕事は終わる。
ゆっくり目の朝を過ごす。
朝食は7時に、“The旅館の朝食”と言えるような和食を部屋で食べた。食事は、お膳で部屋に運ばれて来る。
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昨晩も、夕食は部屋で食べたし。布団も、女将さんが引いてくれた。洗濯について尋ねると「説明するのが面倒だから洗ってあげます」と言って脱水までしてくれたので部屋干しをしていた。何もかもが至れり尽くせりなのだった。自転車も建物内にかくまってくれているので安心だ。これでお値段は、大人と子供で12000円とリーズナブルなのだった。旅館は子供料金を設定している所が良い、ホテルではこうは行かない、これからツアーを企画される諸氏には、ビジネス旅館での宿泊をお勧めする。まあ、安さでは、滝沢牧場が素泊まり2500円/人とダントツで安いのだが、ホスピタリティで言うとココが楽で良かった。思い返すとUFOの家なんかは、自分の家みたいにリラックスし過ぎてかえってありがたみを感じていなかったかもしれない。まったく罰当たりな事なのだった。UFOご一家には改めて御礼を申し上げる。「ありがとうございました。」
もう、滋賀での出来事など、遥か昔の事の様に感じてしまっていた。

旅籠 美あさ
http://www.chichibu.ne.jp/~miasa/
支度をして宿を出た。玄関の外に例のリー氏、CCTYOからSD氏のふたりが我々を待ち構えていた。もう驚かない、東京から出張って来たとの事で、リー氏にいたっては、東京から大阪に出て、我々と長野の入り口までを共に過ごし、名古屋を経由して東京に戻り、そしてまた秩父まで出張って来ると言う、コチラも相当なグランドツーリングをして来たのだった。我々のツアーの管轄が“CCTYO”に移ったと理解した。近江・美濃までが“CCOSK”、関八州以北が“CCTYO”の縄張りと言う事になるのだろうか、信濃・甲斐は“八ヶ岳”の縄張りで間違いないだろう。
定刻8時、一路東京に向けて出発した。
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秩父から都内へは、一旦北に出て荒川伝いに下っていけば山は無い。でも、随分と遠回りになるので、このまま国道299号線を行く山越えの最短ルートを行く。西武鉄道沿いの道だ。西武鉄道は、多くの関西人にとっては馴染みが薄いと思うが、滋賀県人にとっては、近江鉄道がグループ会社だし、西武百貨店、プリンスホテルなんかもあるので、比較的身近に感じている。本家に表敬訪問した形だ。なにより、元鉄道少年しては、当時珍しかった私鉄の貨物列車が走っていた事で憧れていた。セメントを運ぶその貨物列車は、今では廃止されたとの事だが、代わりだからか、国道筋はセメントや土砂を積んだ大型車の通行が多い。道も狭く、正丸峠は難所だった。長いトンネルがあるがビビリながら通過した。下り基調だったのがせめてもの救いだったのだが、オテチにはわき目も触れずに突っ走る事を指示した。もし、トンネル内が登りだったら大変だったと思う。そして、これが最後の難関だったのだろう、あとは都内に向けて下り基調の道が続いていく。飯能を過ぎて入間、所沢と平野部に入ってしまうと、辺りは、完全に街の景色になり魅力を失っていく。埼玉は暑く、車が多く、信号も多い。つい、先程まで山間の渓谷を走っていたのが夢で、眠りから覚めたようだった。
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所沢でお昼になった。この辺りまで来ると、外食チェーンはいくらでもある。このツアー最後の昼食は吉野家だ。オテチはウナギ、ツヨシは牛丼。
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これまでの昼食は、初日、マリアのケータリングから始まって、マクドナルド、モスバーガー、きのこカレー、吉野家と、ファーストフード率が高い。どうしても、ツアー中は行き当たりばったりで、道路沿いの行きずりの店に入る事が多くなりがちになる。グルメライドの様に、食べる事を目的としたイベントみたいな、ご当地の食事をする事は難しかったのだった。それでも、お膝元の滋賀では、マリア弁当にUFO家の伊吹米と豊かな食事が出来ていた。チームと言う事に改めて感謝した。

さて、いよいよ東京都に入った。時刻は13時半で、到着予定時刻は16時だから相当な余裕がある。東京都とは言うが、東村山、東久留米、西東京は、印象が埼玉と大差ない感じがした。
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武蔵野の浄水場の横から井の頭通りに入ると、ようやく東京っぽくなった気がした(個人の感想)。この通りを真っ直ぐ行けば神宮前、そして千駄ヶ谷のCCTYOに通じている。ここで、市街地に入ってから一旦離れていたリー氏と再度合流した。
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彼もここからゴールまでは自転車に乗り同道するようだ。吉祥寺を抜けると杉並区で、いよいよ東京23区となり、この旅も残りは10数kmしかない。
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環七通りを横切ると上原のモスクの塔が見えた。あの塔の向こうは代々木公園の丘だ。小田急線をくぐり、そして井の頭通りと分かれると道は代々木公園の緑地に入って行く。両側に公園の木々を見ながらゆっくりと丘を登る。
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都内に入ってからは、かなりゆったりとしたペースで走ってきたが、時刻は未だ15時過ぎと、目標の16時前の到着は確実となり、少し早過ぎるくらいだ。山手線をまたぎ左に折れると原宿駅前に出る。
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駅前の横断歩道を竹下通りへと渡る人の波は途切れる事が無い。こんなにたくさんの人を見るのは何日かぶりだった。オテチにとっては初めての事だったかも知れない、彼の初東京体験は原宿、千駄ヶ谷から始まったのだ。そして、さらに進み、千駄ヶ谷のご町内に潜り込んで行くと、ついには、“CCTYO”の建物が見えて来たのだった。予定の16時には少し早かったが、既に連絡が行っていたのか、表の通りにはRaphaのスタッフの方が我々を待っていていて出迎えてくれた。
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やはりと言うか、そこに母親は居らず、感動の再会とはならなかったけど、遅れて来るのは想定の範囲だったので落胆は無い。店内に入れてもらい、方々の「お疲れ様」と言うねぎらいの言葉に謝意を伝え応えているといると、オテチが居ない。隅っこに隠れていた。「たくさんの知らない人達が、自分の事と、この出来事を知っている事が恥ずかしくてたまらない。」なのだそうだ。よく分からないが、突然“シャイ”が復活したみたいで、人見知りが激しい。“CCOSK”や“八ヶ岳”ではここまでの事は無かったから「きっと“田舎の子供”だから“都会の人”が苦手なのだろう」と分析した。オテチが打ち解けるか解けないかが、その人の“都会度”を示すようだ。本当の事は後日確かめるとする。そうこうするうちに母親が到着してオテチを引き渡した。やっと肩の荷が下りた。オテチのヤツは疲れも見せずケロッとしている。
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登場人物が揃った所で「これは、Raphaからオテチに」と言ってケーキをプレゼントしてもらった。その丸いケーキのTOPには“OSK TYO TETSUTARO”の文字と“びわこぐま”のマークが描かれていた。“びわこぐま”一同、これには、感激と感謝しかない。でも、語彙の少ない我々には「ありがとうございます。」としか表現の方法が無いのがもどかしかった。おまけに、CCTYO CLUB CAFEのメニューもご馳走になり、さらなる感激と感謝に終始したのだった。
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“CCTYO”は居心地が良かった。まるで休日のクラブライドから帰って来たようにリラックスをし、居合わせた方々と挨拶を交わし、世間話をしたりして日暮れまでの時間を過ごしながら、少しずつ非日常から日常へとクールダウンして行った。
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長々と書き連ねてきたが、オテチとツヨシのそれぞれの忍耐の旅もこれで終りだ。滋賀の家を出て、新快速に乗り京都を経て大阪から旅を始めた。大阪府-京都府-滋賀県-岐阜県-長野県-山梨県-長野県-群馬県-埼玉県-東京都と渡り走って来た。中央分水嶺は4回越えて今は太平洋側に居る。イロイロとたくさんの事が一度にあったが、感慨より無事に、ゴールに到着出来た安堵の気持ちの方が大きかった。
日が暮れて、“CCTYO”を退出した。オテチ母子と彼の自転車をタクシーに押し込むと、ツヨシは自転車で、夜の東京の街を、その日の宿へ向かった。

秩父-東京
81.1km 437mUP
http://yahoo.jp/S8-RE4

本日の走行距離、80km
本日の走行時間、4時間56分
本日の平均速度、16.3km/h
ココまでのトータル走行距離、643km

おまけ(その夜)
五日目、最終日は続く。
この晩は、東京周辺の自転車友達との会食が控えていた。麻布十番の“チームびわこぐま”の定宿“東京さぬき倶楽部”にて待機をした。
夜8時に召集がかかり、3人で宿を出て、歩いて近くのグリルへ向かう。相手は“ちゅなどん”とその仲間達、広義では“蝉”の皆さんと言う事になる。“蝉”とは昨年夏の東京ライドからのお付き合いだ。思えば、あれから僅か一年の間にイロイロあって、再びこうして会うことが出来た。“ちゅなどん”とはもう少し古いが、やはり東京へ自転車で来た事が、友達付き合いのきっかけになっている。その辺りは話すと長くなるので割愛するが、“チームびわこぐま”として東京へ走って出て来たら、“蝉”とジョインすると言うのが慣例になりつつあるようだ。
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金曜日の夜、仕事帰りの蝉たちが、オテチを一目見ようと集まって来る。クマも含めると総勢で10人近い、結構な人数だ。予想に反し、フニャフニャで人見知りなオテチに拍子抜けした事だろう。軽く食事を済ませ「2軒目に行こうぜぇ」と、さらに歩いて六本木に向かった。一家は、六本木交差点近くの地下のバーでビールをゴチになった。
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オテチは蝉にわりと人気がある。「オテチ、今度はひとりで来いよ、」って事で話がまとまった。“オテチ”と言う呼び名は、すっかり東京にも定着し、大人の友達がいっぱい出来た。自転車乗りって言うのは垣根が低くって良いのだった。

おまけ(その後)
六日目、次の朝、一家は宿で解散した。
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オテチ達はスカイツリーに向かった。そして、その日中には滋賀に戻っている筈だ。ツヨシはと言うと、引き続き自転車にまたがって今度は東海道を西に下って行く。今度はひとりだから思う存分飛ばす事が出来て嬉しい。もうお尻の痛みに悩まされなくて済む。滋賀の家までおよそ480km、夜を徹して一気に走ろうかとも思ったが、夜中、藤枝で土砂降りの雨に降られ、島田まで来たところでついに足留めを余儀なくされたので、宿をとった。そして次の日、七日目の夜に家にたどり着いたのだった。今回、ツヨシの往復のトータル走行距離は、1,153km、長かったこの夏のツアーが終わった。
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あとがき
“小学生を連れて、自転車で大阪から東京へ行く”事の是非については随分と自問自答し逡巡していましたが、オテチの、思いがけない成長速度の加速が、この夏の実行を後押しました。“もしも”を言い出したらキリが無いし、覚悟を決めてからは、準備から始って、道中もずっと“無事”に成し遂げる事に全身全霊を注ぎ続けました。人事を尽くして天命を待たず、自ら天命を尋ねに言ったようなものです。全く自分勝手な話だったのですが、“人の親”としては、この事のプレッシャーと言うのは筆舌に尽くし難いものでもありました。だから、他の人にはお勧めは出来ないと思っています。どうしてそこまで尖った事をしなければならなかったのかはうまく説明できませんが、やらねばならないと直感しましたし、結果、やって良かったとは思っています。貧乏な我が家では、教育とは、身体を張ってやるしかないと理解しておりますので、必然だったのかも知れません。もしも、結果が出るとするならば、20年以上先の話になるだろうと思います。そんな先の事、責任は持てないし、その頃ツヨシは古希を過ぎ、鬼籍に入っているかもしれません。でも、オテチにオテチが出来たなら、この夏の出来事は、是非語り継いでもらいたいと願ってやみません。この先代々に及ぶ家訓が出来たと思っております。
「罪深い話やなぁ、、。」
CCTYOでオテチを引き渡した時、ユニフォームを脱いだのを見て、心の底からホッとしました。ただ、ただ、無事に着く事が出来て肩の荷が下りたのです。ですから、その後日のオテチの「もうお父さんとは自転車に乗りたくない」と言う心無い一言にも、まったく動揺はしないのであります。
今回ご尽力いただいた周囲の皆様にとっては、コチラから半ば無理矢理引っ張り出した形ですが、本当に多くの方々も巻き込んだ形となって、随分と話が大きくなってしまいました。そして、皆様のご好意に支えられてここまで来る事が出来たし、大変感謝をいたしております。ご好意に対して、遠慮して恐縮するのはやめとこうと決めていましたから、そのことごとくに甘え、そして堂々と享受をさせていただきました。今回様々な形でサポートしていただいた、矢野さんを始めとしたRapha関係者の皆様、特に写真を撮ってくれたLeeさんには本当にお世話になりました。改めてお礼申し上げます。
「ありがとうございました。」
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そして、またしても無茶振りにもかかわらずお集まりいただきました“蝉”ご一同、また、UFO、マリアと言った“チームびわこぐま”のメンバーや滋賀関係の皆さんに、もお礼申し上げます。
「サンキューベーリーマッチ」
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そして、最後までお付き合いいただいた読者の皆様にもお礼申し上げます。
「読了お疲れ様でした。ありがとうございました。」

「無茶振り is my life」by ツヨシ  なのであります。

おわり

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015(12)

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Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015
“オテチ”と行く大阪-東京“着のみ着のまま”の旅

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015(1)

6 August, 2015
2015年8月6日、木曜日、四日目

翌朝、日が昇ると野辺山の全貌が見えた。西側の、わりと近くに八ヶ岳を望み、牧場の周囲には畑と家畜が配置されて、絵に描いたような高原の風景が広がっていた。
実は昨日、到着が夜になってしまい、かつ、雨模様だったので、暗くて辺りはよく見えなかった上に、湿度も高く野辺山の印象はあまり良くなかった。
しかし、四日目の朝はよく晴れて、高原は爽やかだった。印象は好転した。早くに起き出して、オテチとふたりで牧場内を散歩した。
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今日の予定は埼玉県の秩父までのおよそ120km。

野辺山-秩父
http://yahoo.jp/oH4Rji

これまでに比べると比較的距離が短く時間に余裕があるので、開始が7時30分と少し遅めの牧場の朝食を食べる事にした。特においしかったのは、飲み放題の牛乳で、オテチもコレには同意した。
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8時、昨日のO氏とK氏が、牧場にやって来て、八ヶ岳をバックにした我々親子の写真を撮ってくれた。しかし、これには少しばかりヤラセのにおいがすると思ったのだが、時間がおすので、つべこべ言わずに畑の周りを往復をした。撮り終わると、両氏に仮のサヨナラを言って牧場を後にする。途中、高原を降り切る辺りまで同道して撮影をしてくれるのだそうだ。ココから先は、長野・群馬・埼玉・山梨の県境が入り乱れる山深い土地で、ツヨシにとっても全く未知の世界だ。頭の中の地図は白紙の状態で、土地勘は無い。子供を連れての不安はあるが、空白の地図に色を付ける事は興味深い。

野辺山の高原から滑り落ちるように北に向かう。野辺山を頂点にして、南北どちらに下りても人気のある町までは30km近くあり、標高差は約600mとなっている。
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走り始め、最初は高原の丘っぽい畑の景色(我々にとっては非日常)から、やがて、勾配は急になり、一気に標高を下げて行く。八ヶ岳と別れを惜しむ間も無く見慣れた日本の山間の景色に移って行った。道筋は単純で、第一のチェックポイントは国道299号線の交差点までとしか予習して来なかったが、ルートをロストする事は無さそうだ。程無く佐久穂の町まで来た。あと少し、10kmほど北へ行けば佐久で、新幹線の駅があるような大都会だ。中仙道を行くと佐久を通り、軽井沢から高崎の方へ抜けて行く事になる。佐久穂からは、道路を右に折れて、いよいよ憧れの国道299号線に入り秩父を目指す。
曲がり角のコンビニで補給と情報収集をすると、「十石峠は険しく自転車で越える事は困難な事」「上野村までは何も無く補給もままなら無い事」「頂上は真夏でも寒い事」が分かった。看板によると十石峠までは18km、上野村までは40kmあるらしい、時刻は10時だから、上野村での昼食と言う線は間違いないだろう。大事を見て補給食のバーを、それぞれが1本づつ携行する事にした。水は満タンにする事以外は仕方が無いので運を天に任せた。十石峠を登り始める。最初は緩くも無くキツクも無い勾配がダラダラと続く。
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道路は立派で幅が広く交通量も少ないので快適なヒルクライムだ。こんな感じが12-3kmくらい続いて、少し拍子抜けした頃にダムを通過する。ダムまでの道が立派で、その後がショボくなるのは日本全国に共通のパターンだが、この峠もご多分に漏れず、道路は急に狭く険しくなった。
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路面は比較的きれいだが、真っ直ぐで遥か先の見える急勾配には閉口した。オテチはたまらず蛇行をする。ただ、足を付いて押して上がる事だけは許さなかったので、やり直しを命じた事もあった。オテチには大阪-東京間を完全に走破する事を達成させたかったし、今は意味が分からず辛くても、いずれその達成した経験がオテチ自身の心を支える事になるだろう思っていた。ツヨシもオテチに負けずに、大阪を出てここまでずっとアウターの52を踏んで来たし、意地のぶつかり合いだ。
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もし、今日を乗り切れば、後は大した坂は無いだろうから、ここが正念場と言う事になる。踏み過ぎてチェーンが切れないかとヒヤヒヤしながら、ついには十石峠を登りきった。標高はたしか1300m以上あって野辺山と同じくらいの筈だ。気温は29度と寒いと言うほどの事は無い。水は全て飲み切っていたが後は下りだからガマン出来るだろう。十石峠の東側斜面を下る。勾配自体は西側程ではないが、クネクネと曲がりくねって長い長い下り坂が延々と続いて行くのが遥かに見えている。ずっとブレーキをかけているのでリムは熱くなっているに違いない。やはり長距離、山岳はアルミリムでないといけない、、。手の握力が無くなってきた。勾配が緩むと、下り基調の道を快調に飛ばす。
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上空の雲行きが怪しくなって来て、途中雨宿りも覚悟したが、結局降られずに無事上野村まで来れた。道の駅で、きのこカレーを食べた。メニューの選択肢は無く、ご飯の量だけが選べるシステムで、店の人は「ここは、田舎でカレーくらいしか無いもんで、もう少し行けば他の…」と恐縮するのだけれど、とても美味しかったし、こんにゃくアイスをオマケしてくれて大満足の上野村なのだった。食べ終わると、時刻は14時になろうとしていた。残りの距離は50km足らずなのだが、もう一つ、志賀坂と言う峠を越えないといけない。今日くらいは日のあるうちに宿に着きたいものだ。志賀坂峠は、予備知識によると標高は800mにも満たないとの事で侮っていた。
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それがなかなかどうして手強い峠だった。急坂とは言わないが、一本調子の勾配がずっと続く。
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後で確認したら6kmほどだったが、十石峠との対比で小さいと思っていたそれは、標高差が350mmもあるし、平均勾配は6%に近い。しかし、これを越えたらあとは下り基調だし、最後の力を振り絞って登る。オテチに悲壮感は無いし、今日の勝利を確信した。今日こそは旅館での夕食を楽しむのだ。志賀坂峠を越えて、埼玉県に入った。
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いよいよ関東平野は近い。秩父まで35kmを快調に飛ばした。秩父市内に入り荒川を渡る。この川を辿れば東京だが、大きく迂回する事になる。明日は山をもう一つ越えて飯能に出るつもりだ。17時、今日の宿に到着した。目標どおり日のあるうちに着いた。秩父と言えばセメントの町だ。遠くにセメント材料の山、武甲山が見える。
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宿は安かったが、清潔で、ちゃんとした畳の部屋の旅館だった。働く人がたくさん泊まっているようで、そのせいか、食事は大層立派で、オテチのリポートによると「エビが全部で4匹いた」らしい。大浴場・満腹、そしてエアコンと言う贅沢の限りを尽くして、そして眠りに着いた。いよいよ明日は東京に向かう、、、、。
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野辺山-秩父
http://yahoo.jp/oH4Rji

本日の走行距離、117km
本日の走行時間、6時間53分
本日の平均速度、17.0km/h
ココまでのトータル走行距離、563km

楽しく旅行するなら、これくらいがいいだろうなと思った。
Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015(11)
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“オテチ”と行く大阪-東京“着のみ着のまま”の旅

Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015(1)

5 August, 2015
2015年8月5日、水曜日、三日目その2

第二ステージ、塩尻から蔦木宿までの約48kmについて。
塩尻の町を出ると、すぐに塩尻峠の登り勾配が始まる。
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峠の頂上へは約8km、標高差約300mなので、平均勾配は4%にも満たない。緩みの無い単調で一様な登り勾配だ。路肩が広く、自動車からの恐怖はあまり感じない。
数字だけを見ると簡単そうに感じるが、国道20号線は山の南西斜面を走っているので太陽との戦いになる。道幅が広くきれいな事がかえって災いする。アスファルトは鏡のようなもので、照り返しが強く、日光を上下から全身でマトモに浴びる形になる。昼下がりのこの時間帯、体感温度は相当高くなる。ジリジリと焼かれながら進むと、オテチはすぐにオーバーヒートする。道路を渡る陸橋毎に、その日陰の下で休んで水を飲む。オテチは未だ坂を登りながらの給水は出来ない。
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ツヨシにしてみれば「8kmくらいの峠、サッサと済ませてしまいたい。」と言うのが本音だが、あくまでもオテチのペースに付き合う。ツヨシは随分と我慢強くなったものだ、、。結果、塩尻峠攻略には約1時間かかった。仕方が無い、このコンディションでは、まあまあの出来だろう。本日2度目の中央分水嶺を越えた。向こう側は天竜川水系だ。水は、飯田を経て浜松の東から太平洋に注ぐ。
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峠を下る。比較的急斜面な部分を下り終わると、岡谷から下諏訪までは真っ直ぐに伸びる道で緩斜面を降りて行く。本日のルートの中では最も信号がたくさんあり、突き当たりは諏訪大社の秋宮だ。仲山道では、そこを左に直角に折れて和田峠を佐久方面へと越えて行く事になる。今回、我々は諏訪大社には突き当たらずに、諏訪湖畔をかすめて前方、山梨方面へ進む。この先、甲州街道は未知のルートになるので、勾配構成などの情報は詳しく承知していなかった。ツヨシ自身としてもペース配分がやりにくい。この不勉強はいただけなかった。正直、甲州街道はアッサリ片が付くと思っていたが、それは誤算だった。富士見までの間は、ダラダラと、わりと高く標高を上げていく、もこっとした峠と呼べないような丘もちらほらある。オテチは相変わらず坂に弱い。「すわ、峠!!」となると、登板モードのスイッチが入って、なんとかがんばれるようだが、ただの上り坂だとズルズルとペースを下げてしまう。連日の疲れもあるのだろう、、今日も“残業”はしないといけない予感がする。ただし、昨日との違いは「がんばらんと、暗くなるで」と言う脅しが効く様になった事だ。昨日の夜にかかったライドは、肉体的にも精神的にもツライ事だったようだ。意地悪だがしょうがない、夜の恐怖をちらつかせて発奮を促す。哀れ、オテチ。えっちら、おっちら、微速前進を繰り返してして、やっとの思いで分水嶺を跨ぐ。富士見峠は中央分水嶺ではなかった。水系は富士川水系に変わった。富士見を越えたら、今度は逆に「アレレ」と言うほどの下り坂で、どんどん標高を下げて行ってしまう。「もったいないたりゃありゃしない、、」バーっと下ると結局は諏訪湖の高さよりも低いところまで降りてしまった。おかげで登りで失った単位時間当たりの距離は稼ぎ返したと思うが、引き換えに随分と高度を失ってしまった。
ロングライドのアベレージはトータルの話だ。登った後は下るのだし、ヒルクライムに比べると、なんだかんだ言っても、時間収支はそんなにひどい事にはならないはずだ。しかし、蔦木宿到着時の時刻はすでに17時になっていた。この時間になってしまったと言う事は、ペース配分がダメだったと言う事で、やはり不勉強のツケが大きく、登りでのハッパのかけ方が甘かったのだろう。
第二ステージ、塩尻から蔦木宿の約48kmでの消費時間は、およそ4時間30分。
この区間での時間収支は大赤字になってしまっていた。
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第三ステージ、蔦木宿から野辺山の約28kmについて。
本日最後の試練を前にして、既に辺りには夕方の気配が漂いつつあった。
下蔦木と言う交差点を左に折れ甲州街道から逸れて、いよいよ野辺山に向かって登り出す。八ヶ岳を左手に見ながら、山麓をJR小海線(八ヶ岳高原線)伝いに標高を上げて行くルートで、途中“小淵沢”から“清里”までが山梨県だ。野辺山は再び長野県になる。
ココから野辺山手前の最高到達地点までは、標高差が約670mある。平均勾配にすると3%にも満たないが、“国道筋から小淵沢の上に至る道”“吐竜の滝のある川俣川渓谷付近”には急勾配が潜んでいる。実はこのルート、昨年(2014)の“Rapha Women’s Prestige YATSUGATAKE”に帯同した折に自動車で走り、道筋に関しては土地勘があった。しかし、「いざ自転車で、、」となると勝手が違った。RWPYに参加した女性ライダーの「後半がキツくてバテバテになった」と言う意味を思い知る事になる。先ず小淵沢の上まで登るのに一苦労した。距離にして5km弱、平均勾配約6%だから、ちょっとしたヒルクライムになっている。傾斜地だが道路の両サイドは田んぼだ。
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正面に八ヶ岳が見えた時、思いがけず近く感慨深かった。途中、道路脇のコンビニで休みたがるオテチに「小淵沢の道の駅まで行ったら勾配が緩む、それに早くしないと日が暮れてしまう」と先へ進む事を促す。思えば、先を急ぐあまり長い間休憩出来ていない。しかし、ここが正念場だし、甘やかす事は出来ない。パターンは前日までと大体同じで、オテチは、“暑さのピークを過ぎると生気を取り戻す。”“登板モードのスイッチを入れるとわりと頑張れる。”のだった。しかも、日没は近づきつつあった。「がんばれオテチ」、、なんとか小淵沢の道の駅に着いた。再び標高を1000m近くに戻した。お互い食欲は無いが、もう夕方だからってタイムセールになっていた(半額で100円)パンを買ってお腹に詰め込む。それはトマトがドーンと乗っていて、ビジュアル的にも喉ごし的にも今はツライタイプなのだが、値段に負けた。半ば無理矢理に飲み込んだ(ませた。)。
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残りの予定距離は20数kmだし、後はこれで一気に行けるはずだ。トイレに行って、息つく暇も無く再スタートを切る。小海線に沿って林の中を抜けて行く。これを瀟洒と言うのだろうか、、建つ家がなんだか別荘っぽい。この辺りから、景色は高原の様相を呈して来る。作物も田から畑に変わって行く。途中、何度か角を折れるので、その度に「地図を確認しながら」となると、時間と脚を使うだろうが、その点は自信があったし、問題なくクリア出来た。地元の少年と並走になるが、オテチに軍配が上がる。

IMG_7409やはり、おとーさんの作ったロードバイクは良く進んでいたのだった、、。小泉と言う在所まで来た。野辺山の“八ヶ岳バイシクルスタジオ”からO氏とK氏が出迎えに出張って来てくれていた。“案内と撮影”の為との事だった。実は、今日、我々が何処に宿泊するか、と言う事を承知していない。ただRaphaのY野さんにこの企画をぶつけた折に、せっかくだから野辺山を抜けて行く旨を伝えて、「馬小屋の二階を予約しておきます。」と言う答えを受けていたのみだった。思い当たる節はある。たぶん“あの牧場”の事を指すのだろうな、、、。彼らふたりに見守られながら吐竜の滝の勾配を登る。「キツイ」がオテチは頑張れている。たぶんこれが、本日最後の試練になるだろう。日は完全に暮れてしまっているが、おかげで怖くない。清里の手前で「先で待ってますからー」と言い残してふたりは去って行った。
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清里から残り数kmの登り、真っ暗な国道(141号)を行くが、幸い歩道が広かったのでバイクを並べて話しながら走った。そして、勾配はついに下りへと転じたのだった。またしても中央分水嶺を越えた。最初4回と勘違いをしていたけれど、コレで本日3回目だった。野辺山の高原は雨が降ったらしい、夕立だろう、道路が濡れている。標高は1400m近い高原だから、雨上がりはかなり涼しい。空を見上げると、遠くで稲光が光っているが真上の夜空が見えた。今回、後にも先にも雨に遭遇したのは、これ限りだった。道路の脇に車を停めて、先程のおふたりが待っていてくれて、「あと500m程ですから付いて来て下さい」と先導してくれた。オテチが「どうせ1キロはあるで」ぼそっとつぶやく。「こら、どうせって言うな、分かってるやろ」とたしなめる。オテチのヤツ、自転車乗りの距離感覚は正しく理解しているようだった。。
19時30分。真っ暗だが、まあまあの時間に着く事が出来た。宿は、想像通りだった。既に牧場の業務は終了しており、宿泊に関する説明をK氏から受けた。やはり夕食には間に合わず、近所のコンビニへ買出しに自動車で連れて行ってもらった。
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暗い中をみんなでシャワー室を探したが、なかなか見つからず、やっとの思いで見つけたのは馬小屋の建物の中だった。
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そして、そこには本当に馬がいて、寝たのはその建物の二階。部屋には馬小屋のにおいが充満していた。階下に濃厚な馬の気配を感じながら二つ縦に並んだ二段ベッドの上同士で、ふたり頭をつき合わせながら寝た。
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なかなかワイルドな夜なのだった。

それにしても、なかなかハードな一日だった。
オテチは、よく頑張ったと言えるだろう。
大桑村-野辺山
146.9km 2321mUP
http://yahoo.jp/GE7Sro
Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015(10)
Team BIWAKOGUMA Summer Tour 2015(12)